お見舞い申し上げます

【熱海市の土砂災害:海外報道】/日本を襲った巨大な土砂災害。瓦礫と泥の洪水が家屋を押し流し、少なくとも20人が行方不明に

>日本静岡県熱海地区で豪雨による土石流などの被害を受けた方々に心からお見舞いを申し上げます。日本の必要な援助を何時でも提供できるように私たちは用意しています。 【台湾:蔡英文総統】午後10:35 · 2021年7月3日

蔡英文総統

いつも、台湾の暖かな応援は有難いです。

同じ隣国でも韓国では、熱海の土砂崩れのニュースが報じられて、コメント欄のトップに「天罰」「日本沈没」という単語が並んだとか。国としてもそうですが、隣人としても、常識的な対応が出来ない「対日本怨恨火病障害」の人達なんですね。気持ち悪いので、距離を置いておくしかありません。

脱線しました。土石流と言えば、広島市で2014年8月20日深夜に発生した「安佐北・安佐南の土砂災害」を思い出します。線状降水帯の発生で、時間雨量87㎜・連続雨量319㎜の集中豪雨。死者74名・被災家屋378戸という大災害でした。

線状降水帯が少し南に下がっていれば、廿日市市に、その被害が出ていたのは間違いありません。災害は他人ごとではないと、改めて思い返した事案でした。

安佐南区八木の山肌は、大蛇のような土石流の爪痕が、今でも鮮明に確認できます。実は、八木地区のような所は、昔からそのような災害が多発するので、先人達は、独特の地名で教えていたのです。

八木地区は江戸末期には、「八木蛇落地(じゃらくち)(あし)(だに)」と呼ばれていました。読んでそのままの「蛇が落ちるように山肌が削れている悪しき谷」。それが、開発などに不都合なので地名変更され、「上楽地芦谷」⇒「八木上楽地」・「八木足谷」⇒「八木」となりました。(これは、私が謄本等で独自に調べたもので、県の承認は貰えていません)

大野でも、「鳴川」や「丸石」の地名があります。その宮浜温泉がある処に、終戦直後の原爆被災者の救護病棟が設けられ、当時は京都大学医学部の人達が治療にあたっておられました。その昭和20年9月17日夜半、戦後の3大台風と言われた枕崎台風が救護病棟を襲い、土石流は建物ごと数百m先の海まで押し流したのです。

勿論、生存者はおられませんでした。記録では、広島県だけで2012人の方が亡くなられたようです。その供養塔は、宮浜温泉の中央付近にあります。今でも、毎年9月には、京都大学から先生方が来られて、廿日市市と合同で慰霊祭が行われています。

私は恥ずかしながら、議長として慰霊碑に参拝する公務で、この事を知りました。「鳴川」や「丸石」などや、「竜」や「蛇」の付く地名には、先人の警告が表されていると。全ての事に、もう少し謙虚にならなくてはと思います。