議会の仕事とは

>こんな考えの職員が多すぎて、いつまでも同じしくじりを繰り返していますので。

若い職員は希望に燃えて市役所に入りますが、目端の利いた職員なら10年くらい経てば、「報・連・相」をする側から、される側に変わってきます。そうなると、その経験値から、大多数の職員は「公務員的解釈の無事之名馬」=「何もしなければ失敗はない」と考える職員に変わっていくのです。

カフカの「変身」を遂げた彼らが出世するかどうかは、彼らの上司の判断が大きいですが、実は、最終的な人事権を持つ市長が優秀かどうかで判断が分かれるのです。

一般論ですが、公務員からの叩き上げのA市長と、民間経営等の豊富な人生経験があるB市長とでは、街の10年後には雲泥の差が出るようです。勿論、B市長に軍配が上がると。

「何もしなければ失敗はない」という人が市長になれば、街が良くなる訳がありません。かと言って、若いだけで勉強不足の人が市長になれば、まだ酷いことになります。

これが今の廿日市市が歩んできた現状ですから、現在の部長・課長・係長がどういう人事構成で選ばれたのかは、それぞれにご想像下さい。

「行政をチェックするために議会がある」という処は、ご理解頂けるかと思います。

10年くらい前に、廿日市市議会で講師をお招きして講演会をしました。その講師、地方自治研究センターの上席研究員「高沖秀宣」先生は、「市長与党と呼ばれる議員は、恥であると思いなさい。市長与党とは、「仕事が出来ない、勉強しない」議員の代名詞です」

「市議会は市民のために働く機関ですから、議員は、オール野党的な立場で、執行機関を監視すべきなのです」と、今の市長を含む全議員の前で、意識改革を強く促されました。(この内容は令和3年春の、私の最後の後援会通信で約六千軒に配布しました)

市議会が本来の仕事をすれば、執行機関の間違いも修正出来るのです。