想い出を少し

>あと少し,寝るけーのさんらしくご活躍 されることを,かげながら応援させていただきます.

47才で志しを実現し、バタバタしている内に来年70才。早いものですね。始めたばかりのHPつながりで不動さんと出会い、こなさんとのお付き合いも始まりました。 彼が亡くなって何年経ちますかね。今考えると、若くして亡くなったんだな。一緒に、もっと酒を酌み交わしながら、色々な話をしたかったです。私より若かったけど、人生の良き出会いであり、良き師であったと思います。もう遠い過去のようですね。

同時期、かつて、教育県と呼ばれた広島県が、いつの間にか全国都道府県のビリから3番目という教育レベル。 学校長や、同和関連の教員が14人も自殺。子供の健全な教育などそっちのけで、反日悔日の教職員組合のやりたい放題でした。 これを何とかしなければという強い思いの数人の同志が広島市に集い、県内の市町村議員に広く呼びかけて、150人あまりの侍と共に「教育を考える議員ネットワーク広島」を立上げたのが、私が48才のころ。

文字通り、150人の議員全員の意識と知識の共有化を図り、教科書問題などで、県内一斉に、正論を各市町村の教育長や市長に、ガチにぶっつけて改革を迫る議員。これが増えるごとに、各PTAも変わっていき、左巻きの教職員は、授業をさぼってまで組合活動が出来なくなりました。

1998年に、福山市の現職教員の佐藤さんが国会に招致され、「荒れる学校」の実態を証言してから翌1999年2月、世羅高校の校長が自殺。これがもとで、同年8月に国旗国歌法が成立したのですが、この想い出を書いていると何ページにも及ぶので、詳しくは「同和教育の介入と組合の同調」で、検索してみて下さい。

我々は約10年の間、彼らと戦い、広島県の教育を取り戻したのです。 今、議員として生き残っているのは、私だけになりました。 もうそろそろ、楽をさせて頂いても宜しいのではないかと思います【笑】