久しぶりに読み返してみると

私の、平成27年6月議会の一般質問原稿を、ここに投稿します。少し長いので、2部に分けます。今、思い出しても、市長の慌てた顔が面白かった。ろくな答弁ではなかったので、市長の言葉は入れておりません。興味のある方は、廿日市市議会の一般質問で、角田を検索してもらえば、たぶん映像としてインターネット配信されています。

1 憲法改正について (平成27年6月議会一般質問原稿)

我が国は、憲法9条のもとで、自国の国防をアメリカにゆだね、戦争を国家の想定外としてきた。それにより、大戦で疲弊した国力を養い、各種産業や国民生活の向上に邁進して、日本の復興と繁栄に貢献したことも事実である。

しかし、戦後70年を迎えた我が国は、未だにドップリと一国平和主義というぬるま湯につかり、いつしか「茹でガエル」になろうとしている。

茹でガエルの話はご存じと思うが、鍋に水を入れた中にカエルを入れ、下から弱火でユックリ温めると、カエルは段々水温が上がっている事に気付かず、いつしか茹であがって死んでしまうという話。実際に実験したわけではないので、上手くいくかどうか判らない。

昔から「日本の常識は世界の非常識」と言われているように、日本は、マスコミを含む世論の中で、絶対に「普通の国」になることを許されず、国防の議論さえマトモに出来ない「異常な国」のまま、戦後70年を迎えた。

家族や郷土の為に、尊い命を捧げて下さった日本の先人に対して、中国は、年間1兆円もの予算を使い、慰安婦や南京などの嘘を世界中へ発信し続けている。また、それに同調する朝鮮半島の実態を、どこまでご存じか。

共産党一党独裁国家で、言論の自由も人権も無い 21世紀の帝国主義の国「中国」のプロパガンダに乗って、自分の国をここまで侮辱する人々。このような自虐史観に、異常な程の執念と喜びを持つ人々が、こんなに沢山、日本にいる事に 疑問にすら持たない人々。

こんな おかしな国になってしまった原因はどこにあるのか? また、日本人の自律の欠如。

何故、このような特異な憲法が出来たのか? を検証したい。

現憲法は、81%の新人議員で構成された国会で、ろくな審議もなく可決された事実をご存じだろうか? 時系列でお話しする。

昭和20年8月30日に、マッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、10月2日に、「連合国軍最高司令官総本部」いわゆるGHQが設置され、日本占領政策が始まった。

GHQ調達庁の資料では、その占領期間6年8か月の間に米兵に殺された日本人は2536人、傷害を負った者3012人とあり、あの手塚治虫さんも「道の端を歩け」と言われ、いきなり殴り倒されたという。

以前、慰安婦問題でお話したが、米兵が日本女性を襲った事件が、届出だけで2万件以上。 米軍が駐留した最初の10日間、神奈川県下だけで1336件もの強姦事件が発生した。それを受け、「特殊慰安施設協会」なるものを設立して、終戦から3か月以内に、全国25カ所に占領軍専用の慰安施設を作ったと記録にある。

その中には、広島県も含まれている。

昭和20年9月、GHQは手始めに検閲を始めた。

「プレスコード」通達により、ラジオ・新聞・雑誌の徹底した検閲のために、数千人の日本人が雇われ、東京大空襲・広島長崎への原爆投下・占領軍兵士による暴行など、GHQに不利な事は、絶対に記事にさせなかった。

昭和20年10月11日、GHQは幣原(しではら)首相に憲法改正を指示。

同 12月18日に衆議院解散。

普通は、その瞬間から総選挙に入るところを、GHQが総選挙延期を命令。

12月18日解散で、総選挙が出来たのが翌年4月10日。

この約4か月間、日本には、最高議決機関である国会が存在しなかった。

その間に何があったかが問題である。

翌昭和21年2月3日、マッカーサーは、民生局長ホイットニーに、自作の憲法案を渡し、憲法モデルを作るよう指示。日本人のためではなく、日本が2度と再び欧米の脅威とならないために・・・

法律の専門家など一人も居ない素人チームが、日本国憲法を、約8日間で作成した。

2月13日、ホイットニーは、新憲法を吉田茂らに見せて反応を確認。

その日の内に、解散中の前衆議院議員466名中381名(81.7%)の公職追放を決定した。特筆すべきは、公職追放された381名は、次期立候補も禁じられた事。

3月6日、日本による徹夜の翻訳作業で、憲法改正草案要綱が完成。

4月10日、総選挙実施。 当選者466人中379人が新人議員(81%)。

5月3日、極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。

5月4日、GHQは次期総理に決まった鳩山氏に対して、大命降下(皇居で行われる、天皇陛下による総理等の任命式)が、決まった4日に合わせて鳩山氏に公職追放令を出し、政界から追放。次期立候補も禁じた。

公職追放を恐れる新人議員達に、GHQは容赦なく、新憲法可決を迫り、8月24日、憲法改正案が衆議院可決。 賛成421 反対8 であった。残りの37名がどうしていたかは、不明である。

新憲法は、正に銃による恫喝と、徹底した言論統制の中、到底、民主的とは言い難い状況下、帝国議会を経て、昭和21年11月3日に発布された。

占領国の憲法を変える事は、戦時国際法のハーグ条約に明らかに違反しているのはご存じであろう。

このような非人道的経緯で生まれた、戦争の勝者による押し付け憲法を、平和の名の下で必死で守ろうとする御仁には、民主的な政治や人権や倫理を語る資格があるとは思えない。

5月18日の産経新聞で、共産党政策委員長の小池氏の記事があったが、彼は「侵略戦争を行った反省から憲法は作られたのだ。同時に新憲法を当時の国民が、大歓迎の中で受け入れた歴史的事実もある」などと、中国共産党が、泣いて喜ぶようなコメントを出している。

ちなみに、衆議院本会議で、新憲法法案に反対した議員は8名。

その中には共産党が4名おり、社会党左派も一名いた。

反対議員8名の代表として、共産党の野坂参三氏は、新憲法法案反対の演説をし「憲法9条は、空文を弄するものであり、民族独立を危うくする危険がある」と、堂々と正論を述べた。

「九条を守れ」の共産党や旧社会党の皆さんは、歴史の事実を謙虚に学んで頂きたい。

これが、視点を変え、時系列で見た憲法の成立ちである。芦田修正が何だかんだという 不毛の憲法論議など全く関係ない。

占領下とはいえ、日本の最高議決機関である国会を、ここまで足蹴にしてできたのが、今の憲法である。

この憲法の成立ちと、憲法がおかれている現況・問題点について問う。(終わり)