8.6 広島の一番長い日が終わりました。

広島市長の平和宣言、「まどうてくれ:弁償してくれ」の言葉には、非常な違和感を持ちました。瀕死の被爆者が、こと切れる間際に、絞り出すように言われた言葉は、「兵隊さん、仇をとってくれ・・・」だったはずです。

平和公園の碑文にある安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬからは、いったい誰が誰に言った言葉なのか。おそらく、日本語が苦手な左巻きの方が作られたのでしょう。

私達、日本人なら、「安らかに眠って下さい。アメリカの起した過ちは二度と繰り返させませんから」となるはずです。

広島の多くの被爆者やその家族は、あの碑文を見て、「こんなものは、ホワイトハウスの前に建てたれや」と思われています。 未だに仇をとれていません。 申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ケント・ギルバートさんが、とても判りやすい文章を書いておられます。アメリカの単純な国民性と愚かな行為が良く理解できます。

 

【戦後70年と私】占領政策の真実 間違いに気付いていたマッカーサー    ケント・ギルバート氏
2015.08.07、ZAKZAK

厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥(1945年8月)
厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥(1945年8月)

 70年前の終戦直後、日米関係は、お互いが完全な対立軸からスタートした。

米国は、大日本帝国とは、軍国主義の独裁者が神道という宗教を利用して国民を統率する、非民主的国家であり、世界征服をたくらむ野蛮で好戦的な民族の国だと考えていた。

日本の占領政策、言い換えれば「保護観察処分」は、危険な日本を制度面と精神面の両方から矯正する趣旨で始まった。

東京裁判(極東国際軍事裁判)を通じたABC級戦犯の処罰や、戦争の贖罪(しょくざい)意識を植付ける「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、日本国憲法第9条も一貫した趣旨に基づいている。

 しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。

 強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。

 最高司令官を解任されて帰国したマッカーサー元帥はワシントンに呼ばれ、1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で証言した。

「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった)」と。

 日本が始めた大東亜戦争は侵略戦争ではないという意味だ。戦後体制の大前提を根底から覆す、このマッカーサー証言の存在すら知らない人が日米両国とも圧倒的多数である。

占領下の日本には「プレスコード」(=GHQによる言論統制。『連合国や連合国軍への批判』など禁止事項を厳格に列記した)があったので、このニュースを取り上げることはできなかった。

しかし、終戦70年を目前にした現在も、日本の首相経験者や与野党の要職者が、「安倍晋三首相は70年談話で日本の侵略戦争をわびろ」などと、無知蒙昧(もうまい)ぶりを披露している。

70年間に、日米ともさまざまな機密文書が公開され、過去の多くの常識が、今では非常識になった。

 開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。

 ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。

戦後70年の節目を機に、日本人のみなさんには、日米関係のみならず、国際情勢全般について、最新情報へのアップデートをお願いしたい。