#川本たつし

何だかよく判らずに、書いてみます。

ハッシュタグとかいうもので、なんにでも#を付ければ宣伝になるって言われたのに、全く忘れておりましたので、一回やってみます。 

今年10月の市長選挙で、私は廿日市市長に、「#川本たつし」を全面的に応援しています。 http://hatsuichi.com/

彼との付き合いは意外と古く、私が廿日市町商工会青年部を仕切り始めていた30歳後半の頃、彼「#川本たつし」が、県から出向して廿日市町役場へ来たのです。

彼の出向先はよく覚えてませんが、街づくり関係の課へ来たようで、すぐに打ち解け、当時開店したばかりだった駅通りの「みほ」という店で、ほとんど週一、「この古い体質の街を、わしらで何とかせにゃあイケん!」と、店の日本酒が無くなるまで熱く語り、当時としては、新聞TVが大きく取り上げる程のイベントを、お祭り気分でやっちゃいました。

 今でいう、「シンポジューム」のはしりで、役所の若い連中と、地元の若者が結託して、当時巨大木造ドーム(小国ドーム)で有名だった阿蘇郡小国町の町長を呼んで、地元の小うるさい町長達を巻き込み、広島の放送局RCCの元取材局長にコーディネーターを頼み、シナリオの無いトークバトルをやったのです。

 結果は、報道関係的には面白かったらしいのですが、こちらとしては、したたかな爺たちの上手いトークにしてやられたという不完全燃焼。

 まあ、他にも色々楽しんだのですが、彼の印象は、「役所にも結構話の判る面白い奴が居るやないか」というもの。それから2年くらいで県に帰りましたが、それなりの付合いが続き、こちらもそれなりに年をとってから、なんと、いづれは市長になる逸材として、廿日市の山下市長の要請で、給料の良い県を辞職して廿日市市の職員になったのです。

 彼の弁では、「あの当時の楽しさが忘れられない。私にとって廿日市は第二の故郷になった」なんていう大袈裟なコメントを出して、2008年には、廿日市市佐方に家まで建ててしまったので、「おいおい、廿日市市に来て大丈夫か?」と言うのが正直な感想でした。

 それから、トントン拍子に出世して、私が市議会議長になった頃に、彼も副市長になりました。

 そこからは、かなりドロドロとした流れがあるのですが、それはカット。

 運命と言うのは面白いですね。今は、一議員として、彼を応援しています。現在の市の財政を考えると、今の廿日市市は、彼に託すしかありません。

 議員経験が多少あるくらいで、今の財政危機が乗り切れるなら、私や藤田議員が、8年前に立候補しています。

 廿日市市の市長には、財政・企画のプロであり、県と国のパイプが太い「#川本たつし」しか、選択肢は無いのです。彼ならば、我々も全力で支援できる。

 10月には、新しい市政が敷かれることを夢見て、市民の為にもう少し頑張ってみます。

 しかし、新しい市長になっても、議案には、依然と変わらず是々非々で臨みますよ。議会のプライドも無い現体制のように、「何でもイエスの市長与党」になる気など、微塵もありません。