昔話と西の中華

>現在の宮島の鹿は戦後に奈良公園から譲り受けたものというものですが、根拠の無いただの噂話だと認識しておりましたが、明確な根拠があってこの部分を書かれたのでしょうか? この話は「島民の間でそういう噂になっているから」と、ウェブ上で拡散されただけの話だと思っていたのですが。

 当事者ではないので断定的な発言は出来ませんが、奈良の鹿の話は、合併前の宮島町の職員から、「戦後の食糧難の時代に、島内の鹿を捕獲して食べた為、戦後の落ち着いた時期に、奈良の鹿を何頭か移送してもらって増やした」と、私が直接聞いた話です。このような事は、全国どこでもあっただろうと思いますよ。

あなたが何歳かは知りませんが、私が小学校に上がってしばらくは、昼までの授業で給食は無く、教科書は誰かのお古を頂きました。何年ごろから脱脂粉乳があったか記憶にありませんが、食料難であったという記憶はありません。皆が普通に貧乏でしたから。

ついでに、昭和30年代頃の想い出を書きますが、月の小遣いなんて貰えないので、鉄くずを集めたり、家が大工をしていたので、作業場の掃除を手伝って錆びた釘を集めて、近所のクズ屋に売りに行ってました。

好きな工作や、鉛筆も小刀で削るので、高校生頃まではポケットに肥後守(日本製の刃渡り7~8㎝の折り畳みナイフ)を入れて登校していました。(持ち物検査なんてありませんし、それで人を傷つけるなんて発想は無かったですよ)だから、今でも刃物を研ぐのは得意です。(今でも家の包丁やハサミを研いでます。切れない刃物は、力を入れ過ぎて危ないですからね)

学校から帰ったら、家の井戸から五右衛門風呂に水を入れて、風呂を炊くのが子供の仕事。だから火おこしも得意です。消火は消防団で覚えました(笑)

近くのパン屋さんでフランスパン(今のフランスパンとは大きさが違います)が5円だったのを覚えています。飴なども透明なガラス容器に沢山入っていてとっても綺麗でした。大きくて口に入れるとしばらく喋れなくなる「一里(いっちり)玉(だま) :1里歩くまで口にある」って飴が一個50銭だったかな。

小学6年の頃には、アルミの食器に先割れスプーン、脱脂粉乳、固いコッペパンと、何故か六甲マーガリンという油紙に包まれた小片があり、何か野菜のオカズが付いていたような気がします。家の食事は、ご飯に味噌汁とオカズ一品が普通で、肉は鯨が当たり前。鍋に牛肉が入った時には、その油身の甘さに感動したことを覚えています。

高校までは麦入りご飯で、学校へ持っていくお弁当には、おひつの中ほどのお米だけの処を詰めてくれてました。でも、あの匂いで判るんですけどね。

皆さんには、どうでも良い話でしょうけど(笑)

さて、こなさん。

端的に言って,それぞれの国のエリートをプチ・フランス人に仕立て上げた結果なんですよね

「西の中華」ですか、相変わらず的確で風刺が効いて面白いです。

 「先進国の共通の問題である少子高齢化に、フランスは大幅な予算付けをして対応し、実績を上げている」という日本のマスコミ報道に、普通に疑問を持ち、実態を調べてみると・・・

「フランスの子供達の50%以上は父親が居ない」。つまり、母子家庭の育児支援が充実しているから、離婚は普通で、婚外子も多く、兄弟姉妹は少なく、一人っ子が多い。しかも、生れて12歳くらいまでは、半公務員派遣バイト並ベビーシッターの育児担当者が、留守家庭に来て世話をしたり、自分の家で2~3人の子供を預かる家庭内保育で、随時面倒をみているシステムが多い。

子供の面倒をみる時間より、自分の時間を優先出来るフランスは、その結果として、家庭の愛情を知らない上に、躾最低の子供が量産されている。まさに、西の中華です。こんな政策を推進している国を、日本のマスゴミは礼賛するんですよね。困ったものです。この西と東の中華の10年後を見ていれば、この政策が良かったのかどうか判ります。

 また、ドイツの左翼脳、アンゲラ・メルケルの反原発を上手く利用して、フランスはドイツとの国境に原発を並べ、ドイツの電力インフラを裏から支配している。(以前は、米の電力インフラも狙ったようですが、大停電を起こして頓挫したようです)

成程、フランスは、「プチ・フランス」を自国でも純粋培養しています。よく考えてみれば、確かに汚く危うい国ですよ。

日産と三菱を併合して、ルノーに取り込むことをフランス大統領が画策する国ですから、油断も隙もありません。

今は時間がありませんが、もう少し深堀りしても面白いテーマかも知れません。