散文です

>もちろん,ことさら運が悪いとも思っていません.が,自分の人生を思う存分に切り開いてきたという実感も・・・,正直持てません. 

 トランプ大統領でも、安倍首相でも、自分の人生を思う存分に切り開いてきたとは思っていないと思います。人間、トップに近くなる程、味方を作る以上に「敵を作らないこと」を優先します。

 今は味方でなくとも、「敵の敵は味方」です。一時の感情で激論して、「勝った方はそれを忘れても、負けた方は一生忘れない痛みを持つ」ものです。(勝てそうな処で引き分けにする頃合いも大事)

 数が最優先の議会では、感情に走った方が負けです。議場では激しい議論をしても、議場を出れば普通に話ができる人間関係を、どう作っていけるかの方が難しいと思います。

 私は、「運」は自分で作っていけるものだと思ってますよ。人から頼まれたことは、「出来るだけ断らずに、取りあえずやってみる」という気持ちになるだけで、不思議な事に、隠れた自分の能力が芽を出してきます。

 この楽しさに気付けば、自分の自信にもなるし、自分の新たな武器になる。これも運の良さでしょ? 

>差別差別と煽り、なんでもかんでも男女比を、同じにしさえすれば良いという風潮はいかがと思います…。 

 広島市の前秋葉市長が、女性副市長を強引に推し進めようとした時に、彼は、「副市長は2人制だから、1人は女性にすべきだ」という意見でした。

 一見まともそうな意見なのですが、これには多くの間違いがあります。副市長という要職で最も必要なのは、市長を補佐する能力です。

 2人制であれば、担当する部署も異なりますから、例えば、総務・文教・福祉・建設・財政に分ければ、2人が、それぞれの得意分野を担当する事になります。

 たまたま、その能力のある人が女性であるなら、全く問題はありませんが、最初から女性ありきで選ぶのは、逆の意味で女性蔑視になります。だから、広島市議会は反対したのです。

 市議会でも、男女同数にという声がある事は承知していますが、以前書いたように、全国平均の立候補者比率が10:1 ですから、そこから変えて頂くしかありません。

 選挙で選ばれるのは得票数の多い順ですから、立候補者比率が低くとも、得票数が多ければ、男女の差無く当選するのです。男女同数に近付けたいなら、優秀な女性立候補者を増やせばよいだけです。

 地方議員は、給与が低く、退職金も年金も無い上に、必ず4年に一度、神経をすり減らし、大きなお金が必要な選挙があります。まだ、小さな子供さんが居る家庭での立候補は難しいでしょうね。

 でも、既婚の女性なら、旦那さんの給与が保証されているから、逆に立候補しやすい面もあります。共産党は、これを利用しているから女性候補が多いのです。立候補、どんどんしたらどうですか?

 何でも男女平等なら、スポーツ界も、そうすれば良い。でも、しませんよね。体力差があるのは歴然としているから。

 昔、ハローワークで求人した時、「大工2人を臨時に雇いたい」と言うと、求人票に書き込むように言われました。

 その時に、年齢欄はあったけど、男女の欄が無いので、「女性の大工はいないし、要らないので」と言うと、女性職員にえらく怒られました。男女差別だと。

 私は、「いや、男の作業の中に、力の無い女性が居ると、危険だから要らないと言っている。これは、差別ではなく区別だ」と言っても、頑として聞かないので、「もういい」と言って帰ったことがありました。

 今も、色々な現場で、こんな問題が普通に起こっているのだと思います。困ったものですね。