皇統のお話と御挨拶

令和3年、今年も残すところ今日一日となりました。やはり「コロナ禍」と「米中禍」に翻弄された一年だったですね。 改めて仕事人菅政権の凄さが見直された年末でもあり、今年の「金」の文字は、菅さんに奉げたいと思います。

私としては、その中でも最も有難かったのは、「安定的な皇位継承策等を論議する有識者会議」でした。12月22日に岸田総理に報告書が提出されましたが、この下地は菅さんが取りまとめられたものです。

現在の皇位継承者は、①秋篠宮殿下、②悠仁様となり、その御二人以外に継承者はおられません。そこで大きく2つ、いや3つかな??という提案がなされています。

内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することとする。(但し、女性皇族の夫や子に後続の身分を与えない

皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする。(皇室典範第9条により、皇族では養子は認められていない。しかし、昭和22年10月に、GHQによって皇籍離脱させられた旧11宮家は、離脱時点には現憲法と皇室典範の下で、皇位継承資格を有していた方々である。しかも、養子となられた男性皇族自身は皇位継承資格を持たないものとしている)

皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする。(但し、❶と❷の方策では十分な継承者を確保できない場合に検討するもの)

ご存知のように、今上陛下は第126代目にあたり、約2700年の永きを「万世一系(男系)」の天皇が在位され、一度たりとも王朝の交代がなかったことは、世界史上ではあり得ない真実であり、日本人として最も誇りとするところです。

初代はもちろん神武天皇ですが、鎌倉時代の承久の乱後の「第88代1242~1246年の御嵯峨天皇」が院政をひく中、次代の君を定めず崩御された事で、南北朝時代には骨肉の争いが約200年続きました。が、南朝(大覚寺統)の第101代称光天皇の跡継ぎ問題で、室町時代初頭に北朝(持明院統)の後花園天皇102代が継がれてからは、北朝の天皇で代々継承されています。

何故、鎌倉時代の話をしたかというと、今回、話題になっている旧11宮家と今上陛下の血筋に関係するからです。 鎌倉時代後期は、南朝の天下でありましたが、南朝最後の101代:称光天皇の時代に、跡継ぎとして担がれたのが、北朝(伏見宮)の貞成親王の子である第102代の後花園天皇(1428~1464年)。そして、その兄弟の君が「貞常親王」。

その「貞常親王」より、約350年を経た「邦家親王:1802~1872」の御子孫が、今の旧11宮家なのです。

先人達は、色々な苦難の中で、こうした歴史を紡ぎながら、日本人の拠り所である御皇室を守ってきたのです。今の我々が出来ない筈はありません。

11宮家: 山階宮家(やましなのみやけ) 賀陽宮家(かやのみやけ) 久邇宮家(くにのみやけ) 梨本宮家(なしもとのみやけ) 朝香宮家(あさかのみやけ) 東久邇宮家(ひがしくにのみやけ) 竹田宮家(たけだのみやけ) 北白川宮家(きたしらかわのみやけ) 伏見宮家(ふしみのみやけ) 閑院宮家(かんいんのみやけ) 東伏見宮家(ひがしふしみのみやけ)

現在、旧宮家におられる未婚の男系男子は10人程。皇籍復帰が実現すれば、日本は新たに大きな支えを得ます。

さて今日は23時から、地元の廿日市天満宮で、皆様の「初詣」のお手伝いをさせて頂きます。外ですから相当に寒いでしょうが、防寒対策バッチリで何とか頑張りますよ~

今年は、色々お世話様になりました。来年こそは皆様にとって、素晴らしい年になりますよう、心より祈念申し上げます。

皇統のお話と御挨拶” への1件のコメント

  1. 今年一年、廿日市市政についての疑問を中心にいろいろとお答え頂き、ありがとうございました。
    今年の市議会議員選挙(盛り上がりに欠けましたが)では多数の新人議員が誕生し、今後の市政の変化に期待したいところです。
    温暖化が嘘の様な寒さの新年になりそうですが、皆様よいお年をお迎えください。