日仏の違いは?

カルロス・ゴーンさんのお話は、正直な処、良く分かりません。

昨日、産経の「モンテーニュとの対話」を見ると、日産へのルノーの影響力を弱めるための国策捜査では?とか、虚偽記載が何故意図的に5年間も見過ごされてきたのか?とか書かれています。

19年前、日産の救世主として日本に来られ、まさに通常業務の如く、非情にも2万人の人減らしを即断されるのを見て、ああ、日本人では出来ない判断だなと、欧米人のドライさをマジマジと感じたのを、昨日のことのように覚えています。

これは批判ではありません。最初のゴーンさんは、経営者としての英断をされたのだと思っています。

しかし、モンテーニュは小さな封建領主であっても、「身分の高い人の不便窮屈について」を、面白く語っています。

「世の中で最も辛い難しい職業は、私の考えでは、ふさわしく王たることである。あのように際限のない権力を持っていて節度を守るという事は難しいことだ。人は、王侯にあらゆる名誉の優越をゆずると共に、それだけ彼らの欠点や不徳を助長し許容するばかりでなく模倣する」。

日本の美学からしても、日産のクーデター説は面白くありませんし、この事件は、そう簡単に決着が図られるとは思えません。

フランスでは、余りに国とルノーとの関係が密なために、双方がゴーン氏の扱いを棚上げにし、国民の不信が高まっているようです。

今回の日産とルノーの判断の違いで、フランス国民が日本へ肩入れする処を見ると、流石、フランス革命で王侯貴族を倒し、その救世主たるジャンヌ・ダルクまで、魔女裁判で火あぶりにした「自己中心的な強い自意識の持ち主」が集まった国だなと改めて思いました。

私は、こんな国には住めないですね。

文章の〆には、戦前の満鉄総裁や外相であった後藤新平氏の言葉があります。

「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり」です。

ゴーン氏は、金と事業は立派に残しました。その企業から、ゴーン氏を超える人が出れば、ゴーン氏の後世の評価は変わるかもしれません。

日本には、半面教師という言葉もありますから。