新津さん、素敵な贈り物有難うございました ^^

最初の30分ほど、今見ました。 昭和56年の国会中継ですから、私が30歳の頃です。

国家観とか思想信条なんて、まったく無縁の生活をしていた頃で、今考えても根なし草のようで恥ずかしい限りです。若いこなさんのような、しっかりした考えもなく。私の周囲に居る若い連中の方が、私よりよっぽどしっかりしていると思いますよ。

 

憲法制定当時の記録と記憶を、「時間が止った」という言葉から徐々に国会答弁で引き出す「玉置和郎氏」の、飄々とした質疑に、感心しております。

もう一度始めから、冷酒を飲みながら拝見したいと思います。有難うございました。

 

さて、こなさん。 この文章は確かに良くまとまっています。

・日本人に対して信頼を置いていない。
まるで、その人の友人が明日にでも殺人鬼になるかのように、「普通の日本人」を信用しない。

・外国と比較してどうかという視点がない。
日本と外国を比較して、日本を外国と同じ立場に置いた場合を全く考慮しない。
同様に日本と敵対国の立場を入替えた場合も考慮せず、関係が対等にならない。

・条文や過去のルールに縛られる。
憲法をはじめとしたルールは、現在の国民が考え決めるものであるにもかかわらず、
過去のルールや条文に固執する。かといって、自らの行動はルールに縛られず、傍若無人である。

・民主主義の基本から逸脱する。
民主主義は多数意見の尊重か基本であるが、多数意見と相容れない場合ですら、少数の意見が
優先されると主張する。ルールを守らず、対案を示さず、嘘、欺瞞を多用し、議事の進行を妨害する。

理路整然とした考え方ができず、為政者や多数派に対して悪者のイメージを持っており、自分たちで社会を作っていく主体性に欠け、おそらくは反社会的な集団によって誘導されていると思われる。
ーーーーーーーー引用終わり

いやぁ,良くまとまっていますねぇ.要するに,「自己がない」ということですね.

 

最近、こんなバカがいましたよね。

>報道ステーション 「政治を勉強してきたものとして言わせてもらうけど、民主主義とは多数決ではない」

民主主義の原理が多数決でないなら、歴史上全ての議員や首長を選んだ選挙方法は、間違いであったと言うべきです。 そして、立候補した全ての人々にも平等に権利を与えよと言うべきでしょう。 言えますかね? プロレス解説者ごときが、政治のプロの如く正論に真っ向から対決してみては如何?

そして、1票の格差なんて関係ない。神奈川県と鳥取県の1票の格差が10倍になろうと、有権者1人1人の意志を尊重すべきだ。と言うはめになる。

ほらほら、地金が出て来たでしょう。 要するに、この阿保キャスターは政治学的な基礎を全く勉強して無いという事。 自分たちが社会を作っていくという主体性も無いから、それほど無責任で軽い発言が出来る。

もう辞めろよ。充分に稼いだだろ? 最後はこう↓ なりたいんだろうか?

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新津さん、素敵な贈り物有難うございました ^^” への3件のコメント

  1. ちょっと長いですが書いてみました

    「オオカミ少年とたわむれる気なんぞありません・・・サルでも分かるこなの戦後史」

    ○ 昭和20年,日本の敗戦で,WWIIが終了.

    ○ そして,昭和22年に現行の日本国憲法発布.皆さんご存知のように,憲法9条が含まれている.「これで,世界は平和になった」

    ○ ところが,これのみでは満足できなかったマッカーサーは「東京裁判」を継続審議.昭和23年 「東京裁判」結審.悪の枢軸三国同盟の最後の砦,日本を叩き切ることで,「さすがに,これで世界に平和が来た」と,マッカーサーは胸をなで下ろす.

    ―――――ここまでが前提―――――

    解説その1: 戦後の左翼勢力が信じている神話は,早い話がこの,戦後五年間の間に整備されて,組み立てられた「平和の皮算用」である.なぜ,皮算用といわざるを得ないかというのは,続きの歴史を紐解けば,一目瞭然ですよ.

    ―――――――――「日本が反省したゆえの平和な世界」のその後―――――――

    ○ とかなんとか言っている間に,あっという間に支那が火の海.昭和23年,気が付けば「中華人民共和国」が成立(国連の元での平和維持体制なんて糞喰らえ).

    ○ さらに,とかなんとか言っているうちに,あっという間に朝鮮半島が火の海(昭和25年).マッカーサーは釜山まで追い詰められ,(戦争が無くなった平和な世界の筈なのに),大々的に北朝鮮軍に向かって反撃.勢い余って核兵器を使おうとして,「平和な世界が訪れているはず」と信じるアメリカ国民から更迭され,失脚.因みに,その後米国会議で「日本の戦闘は,そもそも自衛のためだった(と今になって気が付いた)」と証言しているが,そんな「戦後平和の伝説」に邪魔な事実は,忘却の彼方に捨て去られたまま.

    ○ あわてたマッカーサーは,平和憲法を押しつけた日本に向かって,警察予備隊(後の自衛隊)を組織させる(昭和25年).因みにこの時点ではまだサンフランシスコ興和以前だから,日本の意志で,自衛隊が整備されたわけでないところに注意.

    ○ そして,中共や北朝鮮を裏で手ぐすね引いているのがソ連なのだと「やっとのことで気が付いた」米国が,あっという間に冷戦構造に突入.

    ○ 歴史は前後するが,ここからさらには,キューバの社会主義化とキューバ危機,ベトナムの赤化とベトナム戦争.カンボジアの赤化とクメールルージュの惨劇.ビルマの赤化と内戦.ニカラグアの赤化・・・,と続き,早い話が米国の連戦連敗.そして,昭和54年のソ連アフガン侵攻に対する米軍の反撃で,やっと自体は終息に向かうことになる.

    ○ 大事なことは,中共と台湾,南北朝鮮はいずれも,マッカーサーが日本を占領している時代に生み出された「非平和状態」で,この時以来現在まで,いまだに「戦闘状態」のままという点.だから,早い話が,米軍はいまだに,日本(沖縄含む)や韓国から軍事的な撤退が不可能なのである.

  2. ―――ということで,米国は,困った―――

    解説2: マッカーサーを中心とした米国と連合国(国連)が考えた,「誰が悪で,それゆえに誰を叩いたら世界が平和になる」という理屈は,戦後の経った数年のうちに,実質として,机上の空論であったことが事実として示されているのです.しかし,こなの見方によれば,この事実は,連合国にとってそれぞれ不都合であったため,巧みに無視されてしまいます.

    欧州: WWIIの終焉によって,それなりの平和が構築されていた.実際はナチ・ヒットラーの狂気が終焉しただけであったが,日,伊も含めた三国同盟を共に戦犯とおくことで,手打ちしてしまった(要するに,欧州戦線と,極東戦線に,違うメカニズムが働いていたことを,今さらほじくり返して検討する気力がなかった).

    米国: 「日本ばかりが悪であって,それを原爆投下(明らかな国際法違反のホロコースト)を含めて倒して,それで世界平和がおとずれた」,という神話を崩したくなかった.冷戦はやっかいだが,日本国ほど国家をあげてスクラムを組んで,西側諸国に脅威を与えてくるわけではない.だから,一度組み立てた「戦後平和の神話」を,今さら再検討する気力がない.

    ソ連と赤化諸国: 極東においては,日本ばかりが悪かったという神話を踏み台にすることで,最も効率的に既存の国家を転覆させて,赤化させることが出来る.こんな便利な「神話」を,今さら捨て去る必要なんか無い.

    特亜諸国: 「日本ばかりが悪かった」というのが,近代国家に乗り遅れた劣等感をカムフラージュするのに便利だった.だから,どんなことがあってもこの神話を手放すつもりはない.

    日本国内: 戦後野放しにされて伸長してきた左派の学者や報道関係者が,ソ連や,特亜諸国の価値観に感応されて,その子分として活躍するようになる.

    こうして,本当は歴史の事実と全く見合わない「戦後平和の神話」が,世界の中で固定されていってしまったのです.

    ―――しかし米国は,それではすまないーーー

    ○ 度重なる冷戦から戦争につながる脅威に対応(パックスアメリカーナ体制を守るためには,結局米国が立ち上がるほか無い)するために,昭和46年に,サンフランシスコ平和条約締結の1時間後に、日米安全保障条約が日米両国の間で締結.

    ○ ここで,日本を同盟国として選んだことは,実質として,「日本が一番信用なる国家である」つまり,「WWIIで日本ばかりを叩いたのは間違いだった」と米国が実質的に認めている最大級の証拠である.

    ○ ただし,日本国内では,左派の伸長が著しく,厖大な学生運動が発生して,日米安保の本質をまともに議論できる環境には既になかった.それ以来,この手の問題が立ち上がる度に,大手マスゴミは,見当違いな「オオカミ少年論」を繰り返すばかりで,今日に至っている.

    ○ 本当に大事なのは,日米戦は四年間,そして,平和がおとずれたと信じられた戦後に,冷戦構造が生み出されるまでにたったの3年間しか経っていない(中共成立は昭和23年)のに比べて,日米安保は,今年で45年も経っているということ.この事実は,何が戦後体制において,意味のある行動だったかということを物語っている.

    ○ だから,戦後の平和を語る節目は,昭和20からサンフランシスコ講和(昭和26年)に渡る戦後の過渡期では無く,60年安保以降の45年である.戦後70年を語るより,安保締結64年を語った方が,平和を語る上においては,よっぽど意義深い.

  3. ―――ただし,戦後のタブーは続く―――

    解説3: 米国の戦後処理の最大の間違いは,鮮魚初期における社会主義勢力に対する無防備さにあるとこなは考えています.ゆえに,冷戦が起こり,学生運動が吹き荒れ,ついでにいうと,歴史に立脚した権威は皆ないがしろにされ,「責任を負わぬ立場からの,いいたい放題」にお墨付きを与えてしまった.これが,こながひごろからいう「サヨク心理」です.

    欧米諸国でも,歴史のつながりのある保守派層は,この手の「サヨク心理」を苦々しく思っています.しかし,こと戦後の歴史解釈において,こうした左派のやりたい放題にメスを入れると,芋づる式に,WWII以降の戦後処理の失敗と冷戦構造のツケ,という,連合国(国連)にとって痛い部分に再びメスが入ってしまいます.それは面倒臭い,都合が悪い・・・,ということで,「日本ばかりが悪くて,その悪を叩いて世界平和が構築された」という神話を,いまだにダラダラと継続したままなのです.

    ただし,世界の事情は一旦おいておきましょう.日本の左翼勢力が,どの様にして,この神話にしがみついているのか,それを簡単に振り返るだけで,我々には,当座のところ,十分です.

    ―――そしてサヨクはオオカミ少年となった―――

    ○ 昭和34年,自衛隊正式発足 → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 昭和35年,60年安保(改正) → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 昭和45年,70年安保(改正) → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 昭和53年,日米防衛協力のための指針(ガイドライン) → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ この間,しばしば米国からの戦闘機などの武器購入が議論 → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず.ただ,ロッキード事件で田中角栄首相が失脚
    ○ 昭和の終焉と共にベルリンの壁,やソ連が崩壊 → 拠り所を失ったサヨクは,今度は中共にペッグ.
    ○ 1991年(平成3年)6月5日~9月11日,自衛隊ペルシャ湾派遣 → 戦争に荷担するぞ! → 別に機雷掃海を実施しただけ
    ○ 平成4年,国連PKO協力法成立.→ 戦争に荷担するぞ! → 別に戦争には荷担せず.
    ○ 平成6年,自衛隊は違憲とする社会党村山政権(実際は自民との連立) ←あっさり自衛隊を容認,さらに,党名を「社会党」から「社会民主党」に改名.
    ○ 平成7年,村山談話発表.軍事的な方面から日本を諫められないのなら,道徳的な側面から,日本を諫めてやれ!
    ○ 平成8年,日米安保の再定義(日米安全保障共同宣言,橋下内閣).この時から,集団的自衛権議論は始まっているのですよ! → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 平成10年,改正PKO協力法成立 → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 平成11年,日米新ガイドライン成立 → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず
    ○ 平成13年11月~19年11月(旧法),平成20年1月~22年1月(新法),自衛隊インド洋派遣→ 戦争に荷担しているぞ! → 燃料補給をやっていただけ.
    ○ 平成16年1月~20年12月,自衛隊イラク派遣 → 戦闘行為に巻き込まれたらどうするんだ! → 一人として,戦闘行為で死亡例無し
    ○ 平成19年,防衛庁が防衛省となる → え? どうして? これは案外静かだった??

    そして,今ふたたび,集団的自衛権の再検討 → 戦争が始まるぞ! → 別に戦争は始まらず

    もちろん,これ以上に,沢山の出来事がありましたが,要略します.だって,その全てにサヨク連中が繰り返すのが,

    「戦争が来るぞ!!!!」

    の一言ですから.じつに単純明快,単細胞.これを「オオカミ少年」言わずして,どう言い表せばよいのか,分かりませんねぇ.

    ホント,ええ加減にせえよと言いたい.