グローバル経済の終焉

>過去30年のデフレ基調の期間にユニクロや業務用スーパー・100均等の登場で、相当安くなっていたものが、真っ当な価格に戻りつつあるだけで、今までが安くなり過ぎていたと思います。

1991年のソ連崩壊以降、世界中にグローバリズムが蔓延り、各国が相互依存の形で「利益最優先経済」を求めていた時代には、「安く供給する」ことが一番正しい事だったのです。少なくとも、日本は思っていました。

だから、シナの安い労働力のお陰で、各国は安いものが手に入り、シナは逆に「世界の工場」として発展を続けられた訳です。

しかし、シナは経済が発展するごとに労働賃金が上がり、「契約を守らない」朝令暮改の国のデメリットが表面化しました。

また、ロシア・ウクライナ戦争で、「生産国は自国優先主義であり、消費国は守られない」という、至極当たり前の事を日本は気付くことになったのです。

ですから、グローバル経済の弱点があらわになって、少し価格は高いけど「自国生産品」などに切り替えようという段階に、日本が入ったって事ですね。

人間は誰しも、長く平時に生きていると、有事への対応が難しくなります。ウクライナ問題は、日本の安全保障を見直す切っ掛けを作ってくれました。

ウクライナが全て正しいとは思いませんが、毎日、ロシアの汚いやり口を見る事で、平和ボケ日本人にとっては、色々な意味で貴重な疑似体験をしているのではと思います。

グローバル経済の終焉” への5件のコメント

  1. 今まで物価が安すぎた・・・,これはわたしも全く同感です.

    バブル期までの日本は,いわゆる物価の高い国でした.その分消費財の購買力が低く,人々はつつましい暮らしをしていました.

    でも,いい時代だったなとつくづく思いますね.

    その頃私は,青年海外協力隊員としてとある国に赴任し,最低ランク商品の物価の安さに最初驚き,その後いくつかの国を回りながら「国民の貧困度と,その国の最低ランクの物価は連動している」ことを肌身で学びました.

    自分で言うのもなんですが,これは,短期間の腰掛の旅行レベルでは分からない話です.決してGDP順に物価が安いわけでもない.

    ただ言えるのは,最低ランクの物価は,その国の最低ランクの収入と連動しているらしい・・・.海外経験で分かったのは,そこまででした.

    あ等になってりくつで考えてみると,実はこれは単純な理屈で,最低物価のランクで生産活動している櫃の収入は,そもそも動かせる金が少ないのですから自動的に最低ランクになるのです.そして,最低ランクの消費をする.

    バブル経済の前後から,日本のマスゴミに新たな言葉が生まれました.それは,

    「消費者」

    です.それまで日本では,これに近い表現は「庶民」でした.「庶民の足にダメージ,タクシーまたまた値上げ!」みたいな新聞見出しだった.それが,バブル崩壊前後から,「消費者」なるものに置き換えられました.

    そして,知らずと内に,

    消費者 → 弱者,善人,虐げられている
    生産者 → 強者,悪人,人々をいじめている

    というイメージが形成されていったのです.しかしこれは,いびつなイメージです.

    「庶民」は,寅さんの団子屋や裏の印刷屋みたいに,消費者であると同時に「生産者でもある」のです.確かに平成以降,いわゆる大店舗法の規制緩和もあり,寅さん的な三ちゃん企業の数は減りました.個人経営の食品スーパーとか喫茶店とか,本当に減りました.でも,それでも日本の企業の99.7%が中小企業であることに変わりはありません.

    しかし,「消費者」の言葉がマスコミを席巻して以降,日本の「生産者」と「生産者」は,同じ釜の飯食う仲間から,敵対する関係に置き換えられたのです.
    否,「生産者」なる権力者が一方的に「消費者」をいじめるイメージが,脳裏に刻み込まれました.

    感がいい人は気付くでしょう.これこそ,権力闘争,社会主義イデオロギーに染め上げられたわけです.

  2. 私が日本に帰国した折には,ひそかに「日本の物価高」を誇ってもいました.日本は貧者のいない国.庶民掃いても,貧者じゃない!

    当時私の住む県に日本で最初のトイザらスができて大騒ぎでしたけれども,あの「毒々しい色で安っぽいおもちゃ」好まない人が多かった.みんな,庶民だけれども,それなりの審美眼もあり,

    「安物買いの銭失い」

    という言葉は,庶民の常套句でもありました.

    もちろん,今は百均でも驚くほど品質は向上したのです.でもこれも,我が町発祥のダイソーをはじめ,日本企業の審美眼が,海外生産車を育てた側面が強いと思っています.何せ,日本の百均クオリティーで,世界に売りまくっていますから.

    日本の庶民のレベルは高い! これは間違いなく,誇っていい事実なのです.

    そして,ここからが問題です・・・.

  3. 純粋な消費者がいて,その消費者が十二分に安い物価を享受するために必要なメカニズムです.

    平たく言えば,その答えは長らく「物価の安い世界の工場中国」を使う,でした.しかし見ようによっては,これはえげつないこと.要するに「経済的な植民地」主義なのです.

    カンのいい人はおそらく,このメカニズムに気づいているのでしょう.そして,大まかに二つのベクトルに分かれる.

    1つは,他国は他国,安いんだから買う・・・,という現実論者.
    2つ目は,他国も含めて,同じ人なんだから同じように生活できた方がいい・・・,という理想論者.

    どちらも,もう一つ,同時期から盛んに言われるようになった「グローバリズム」の言葉のイメージレベルの解釈です.

    1側の人は,ある種冷酷なのかもしれません.ただし,2の方向に行くと,日本の庶民(というか低所得者)の賃金はさらに低下することを知っています.なぜならば,途上国の方が圧倒的に人数が大きくイナーシャも大きいからです.だから,冷酷と思われようが,先進国日本の自己像を守ろうとしているように見えます.

    これに対して,
    2側の人は,1のような価値観の冷酷さが鼻についてイヤなのでしょう.かつてボートの笹川会長が言った「世界は一過,人類皆兄弟」の精神で,あらゆる国家,文化,宗教の人を平等に受け入れようとする.しかしそうするとやはり,海外勢の方がイナーシャが大きいので,日本の文化は浸食され,また経済的にも疲弊します.
    分かり易い例で言うと,コンビニバイトでも,安時給でもどんどんバイトに入ってくれる留学生諸君が,賃上げにマイナスのドライブになっています.

    悪名高き,「外国人研修制度」も同じパターン.

    かくしてやっぱり日本は疲弊するのですが,ここで「消費者」の名前を自認する人は強気です.理屈でこうなるのだと言っても,

    「権力者が悪い! 大企業が悪い!」

    の大合唱.しかし,いくら日本の大企業の権力者がこすっからいと言っても,日産カルロス・ゴーンほどではない.(個人的には,カルロス・ゴーンはフランス人として一般的な経営者だと思います.あの程度のことをやらない方がおかしいでしょう)

    かくして,小さな「キズ」を見つけては,重箱の隅をつつくようにネチネチやるばかり.

    そこは本丸じゃない・・・,と私は思うのですが.

    昭和の人たちは,私も含めて,庶民も含めて,もっとちょい悪ばかりでした.でも,そんなちょい悪でも,大きなことをやればそれが認められた.本田宗一郎の書籍なんか読めば,よくわかるでしょう.あんな人,今日だったら秒でアウト! ですよ.

    昭和の庶民・・・,個人的には,そのおおらかさが懐かしいです.

  4. 中小企業というと、昨日のテレビ番組においてアトキンソン氏が経産省の役人に
    「中小企業で働く人はで無能の集まりだ。その人達に期待するアトキンソンさんはおかしい。」
    と言われた事を話されてましたね。
    能力のベクトルが異なるだけで、学力だけの人間だけでは世の中回らない、学力の無い人間は無能という思考は「頭の良いバカ・勘違い野郎」の典型で「箱の中でしか生活してこなかった人間」の思考は怖いものです。
    アトキンソン氏が言うところの「高学歴の人達のお友達がみんな高学歴で大企業で働いていて、お友達のムラだけで考える」からそうなるのでしょうが、東京五輪絡みの不正もお友達・上級国民ムラでの内々での出来事でした。
    トリクルダウンの話題も出ていましたが、
    「いろんな概念的な事を言うんですよ。キャッチフレーズをつけていろいろ言いますけど、検証されてないんですよ。エビデンスはありますか?と、実際にはエビデンスの無いままでそういうこと言われていた。エビデンスを出してみるとそういう事は確認されていない」
    のとおり、学者の仮説を鵜呑みにして自らの頭で考えず実行した結果今の状況を生み出した安倍氏の責任は大きいですし、CEO・ジェンダー・SDGs等流行モノにすぐ飛びつく国民性を見ても「日本の庶民レベル」も犯罪率の低さ以外はそう誇れるものでもない気がします。
    GoToトラベル時の客層の悪さにホテルマンが「言葉が通じる分中国人より質が悪い」と嘆いていたくらいですから、貧すれば鈍するでレベルが下がっている面もあるのかもしれませんが、中国人の爆買い同様の行為は過去にバブル期の日本人も海外でやらかしているので、結局は個人個人の資質と環境の問題なのでしょう。