昔話

>日の丸の赤は戦争で殺した兵隊の血の色で旗の白は、その骨の色などと馬鹿げたことを言う風潮があった・・・

思いだしますね。約30年前、広島県も教育県と言われたのは過去のこと、日教組・全教・同和団体などが、教育現場をハチャメチャにして、広島県の教育水準は全国都道府県のビリから3番目という有様でした。

その頃、小学校のPTA会長を引き受けたものですから、普通の教育を受けた者からすれば、学校行事は違和感が一杯。

3月のPTA副会長の時の卒業式は、一段高い舞台を無視して、体育館の床平面で行う「対面式」。PTA会長で挨拶をした入学式もそうでした。

舞台の奥には校旗と市旗が飾られ、国旗は舞台袖のカーテンに隠れるように架台で斜めに掲示。勿論、国歌斉唱もなく校歌だけが歌われました。

その式が終わった直後から、校長・教頭に対して、私の「何故?何故?攻撃」が始まったという流れです。 

皆様のご期待通り【笑】、一年後の卒業・入学からは、舞台檀上での式が挙行され、ようやく会長の2年目から壇上に「国旗・市旗」の二つを並べて掲揚する事が出来ました。

以前も書きましたが、父も私も卒業した地元の小学校には、同和地域があり、当時、日教組の県西部のドンが15年以上居座り、日教組の組合員が教職員の半数近くいました。

「学校行事は、全て職員会議で決定する」とか、「運動会は、給食のある平日に」とか言う組合教員ばかりでしたから、「日の丸・君が代」なんてトンデモナイ!という空気が充満して、息が苦しくなるような学校現場。

しかし、救いは地元PTAの構成メンバー。 旧廿日市の中心街でしたから自営業者や商店主が多く、PTA役員も男性が圧倒的に多い。

ですから、昔から伝統的に、運動会などの設営や片付けはPTAの仕事。教職員は、イベントごとの指示だけすれば良いことになっていました。しかも、PTAを何年か前に終えた方々でも、後の打上げ目当てで、手伝いに来る人が多数。

つまり、学校を支える地域力がもの凄い校区ですから、学校行事でもPTA会長が、「おかしい処はおかしい」と外に発信すれば、即座に味方になってくれるのです。

まあ、そのお陰で、「運動会の平日開催。昼食は弁当が作れない家庭があるから子供だけ校舎内で。」も、「反対する教職員は参加しなくて良い。これは地域の祭りだから、PTAが運営する」と、困り果てている校長に進言したら、夜中の職員会議の騒ぎが一変。

「日曜開催。昼食で親が参加できない子は近所の親が面倒をみる。開会式行進で国旗を捧げ持ち、国旗掲揚時に国歌を流す」となりました。有難い事に、今でもそれは続いています。

校長や教頭を支えるのはPTAの仕事。それを支えるのは地域力です。二年後、日教組のドンは遥か田舎に飛ばされ、学校の組合率は半減しましたという昔々のお話の復刻版でした【笑】

昔話” への1件のコメント

  1. 角田さん お疲れ様です。
    >日教組のドンは遥か田舎に飛ばされ、学校の組合率は半減しました・・・
    これはもしかしてあずまくんかな、と思える話でしたがあずまくんではなさそうですね。(笑い)

    そういえばどこかの極右と学制時代言われた男の子供が、今年県北地域に配属されたので、あずまくんの団体から勧誘がないかな、とちょっとは期待したそうですが、県北地域はしっかりと国歌斉唱する学校だったそうです。

    その男は彼の子供に『あずまくんの組織から勧誘されたら、なんであずまくんはマスコミおどしたのかな?また教育に中立はありえない、と発言するならば、学校で愛国心教育をして立民を批判する教育をしてもいいのですよね?』と言ってからあずまくんんの組織にはいるか、『あずまくん、草葉の陰でないてるかな、あっ、まだご健在で?』といってバカにしろ、とアドバイスしてそうです。

    あずまくんが所属していた組織や、その組織から支援を受けた議員が、日本の存在意義をかたるよりは、他国の存在意義を中心にした政治や教育を行った結果が、ゆきおくんやなおとくんをはじめとした個人主義か独裁主義かわからんが、一応たてまえは民主主義を語る議員を作ってしまったことを、あずまくんがいた組織はどうかんじているのでしょうか?

    憲法9条を守りましょう、というが、国内で多数をとれないことをよおく理解して、あずまくん以外の組織から役員を招いたほうが、あずまくんの組織をはじめ、日本の教育には良いとおもうけどな。

    あずまくん、青山繁晴さんはどうかな?そうすれば反あずまくんだった教職員があずまくんの組織にはいるぞ。教育にも良いようだし。