特殊性

>どれだけ文化的にも言語的にも異質であっても構わない.損得勘定から(その民族が)大国に帰属すると判断すればOK,または大国の方で力を見せつけて,彼らを帰属させればOKなのです.

今はシナの人権問題が大きな外交課題になっていますが、ほんの100年前の、欧米の白人社会では、有色人種など人間ではなく、奴隷以上の価値は無い別世界の生き物でした。

今朝の産経には、19世紀末に念願の五輪を実現した、オリンピックの父クーベルタン男爵の、驚くべき言葉が載っていました。

五輪は男性のものであるべきだ」と、堂々と女性蔑視の発言をし、熱心な植民地主義者でもあったので、「白人は優秀である。多民族は忠誠を示すべきだ」という発言も記録されています。これは、当時の上流社会では当たり前の考えであったとも。

勿論、シナの現在進行形の臓器売買やチベット・ウイグルの問題が許される訳ではありませんが、朝鮮や台湾の併合、大東亜共栄圏の考え方や歴史を見ると、ある意味、日本人だけが特殊なのかも知れません。

特殊性” への2件のコメント

  1. 露骨に言うと,

    >日本人だけが特殊

    なのですよね.民族意識や文化,言語において,ここまで歴史的に継続している大国は,実は世界で日本しかありません.

    これは決して,夜郎自大の自慢話ではありません.あえて言うと,よくも「悪くも」そうなのです.

    先の大戦で,まさに国家崩壊レベルの敗戦を受けました.しかし,国家元首が国外逃亡することを,ご本人も国民も想像できない国.日本人からしたら,当たり前なのでしょうが,世界の歴史を紐解いても,日本以外にそんな国はありません.

    国家元首がまず国外逃亡し,ノーマンズランド(主権なき集団)となると同時に,雨後の筍のようにA政権,B政権・・・,と主権を主張する集団が出てきて内戦が始まる.ある意味において,これが世界の「正しい」認識なのです.ですが,日本人だけはこれがとんと分からない.

    昨今ネット界隈で,「明治維新の志士とはとんでもない,あれは英国あたりが江戸幕府転覆を狙ったゲリラ組織だ!」という説が流布しています.私のような,司馬史観なんてわけわかめの理系脳からしたら,これ,なるほどその通りだと思いますよ.

    しかし,ゲリラ組織がいくら跋扈しようとも,日本の国体はビクともせずに,易姓革命なんて起きっこない・・・,この「世界の非常識,だけど日本だけなら常識」を,時の英国は理解できなかったでしょうね.大英帝国,日本に来るまでは「全てこのやり口で成功」してきたのですから.

    無論,一日本人として,この国家感の歴史的継続は非常にラッキーだと思っています.先祖に感謝です.ですが,同時に危険なのが,この感覚のままで世界を見ようとすることなのです.

    世界の国境は,日本のように,広大な海で物理的に区切られてはいません.また,国境の左右の人々は,それぞれの政権から異なった歴史を歴史観を教え込まれています.彼らにとって国境など,基本的に不安定な「電熱線」のようなものでしかありません.メキシコの壁は,センセーショナルに採り上げられましたが,事実を言えば,これが普通.

    世界の多くの国境は,乗り越えようとするとやけどをする電熱線で区切られています.

    そして往々にして,国境のあちら側の人たちは,荒唐無稽な歴史や一方的な事実を突きつけられて,虐待され,殲滅されているのです.そうでなかったら,世界の各所に,これほどまでに「難民」が生じるわけがないでしょう.

    日本赤軍くらいまでに狂わない限り,日本から逃げ出して難民になりたい人なんて,日本にはいませんよね.でもそのこと自体,非常に恵まれた例外的なことなのですよね.

  2. で,現在怪しげな失格を頻発している北京冬季オリンピックですが,中共は,

    >「白人は優秀である。他民族は忠誠を示すべきだ」

    これを地でやろうとしているわけですよね.

    「漢民族は優秀である.他民族は忠誠を示すべきだ」

    です.彼らに言わせれば,現在の米国の世界派遣体制も,「米国が優秀そうに見えるから」他民族もそれに従っているにすぎない,というわけ.

    体(国土)も大きく,力(人口)も大きい中共.私に言わせれば,そうなったのも戦後のどさくさでしかないのですが,彼らは,あとは,「スポーツや,科学技術,経済で力を見せれば」世界が中共に付き従うと考えているわけです.

    そして,ここからが日本人には注意なのですが,世界の90%は,実はその通りに動きます.

    繰り返します.日本人のメンタリティとは違うのです.日米戦で,明らかに劣勢で勝ち目がないと分かっても,次々と特攻をかましていった日本人とは,根本のところで異なっている.

    でも,だからこそ,我々は慎重に考えなければなりません.「ひさしを貸して母屋を取られて」からでは遅いのです.

    国家の主権の意味や,世界のどの国家が覇権を取るかどうかなど,日本人のメンタリティの延長線上で考えてはいけない,これが私の結論です.