コロナとの共生

*風邪(ウイルス性)を根絶する薬ができたら,それはもうノーベル賞ものというのは,コロナに対しても同じこと. コロナ対策で言うピークシフトとは,「コロナを減らすこと」ではありません.結局は,一人一人が次々と発生する新たなコロナ変異株に罹患し,免疫系を獲得する必要があります

全くその通りです。政府や都道府県市町村の首長も、ウイルスの特性を理解すれば、最終的に多くの人が「次々と発生する新たなコロナ変異株に罹患し,免疫系を獲得する」。このことが、オミクロン禍を解決する最良・最速の手段である事が分かると思います。コロナと共生すること。ウィズコロナです。

シナが行っている「ゼロコロナ」などは、愚策中の愚策。日本は感染者が急激に増え、次第にコロナとの共生環境が進んでいます

東京(満員の通勤電車が、最も多く流入流出する都市)の感染者を基準にすると、新幹線や高速道路網の影響での誤差はありますが、全国の都道府県は、ほぼ人口比で増加し、ある日突然に終息へ転換するでしょう。

広島の人口は東京の約1/4ですから、私はその数値に注目しています。風邪でもインフルエンザでも、罹らない方が良いのは当たり前ですが、このオミクロン株は、基礎疾患の無い若い人にとっては、軽い喉風邪と同じです。

今の日本では、いつの間にか罹って、気付かないまま治っている人々が多いのだと思います。これだけは断言します。あんな不確かなPCR検査なんかするから逆に経済が停滞したのです。

PCRのメーカー自体が、「コロナに感染しているかを判断する検査ではない」と明記しているのに、マスゴミも誰もそれを言わないなんて、おかしいでしょ。

*【注意事項】⇒『PCR検査の特性として、一定確率で、検体にウイルスが存在したとしても存在しない状態を示したり、逆に検体にウイルスが存在しなかったとしても存在する状態を示したりする場合があります。仮に、高リスク(唾液の中に新 型コロナウイルスが存在することを示すような検査状況)であると通知されたとしても、新型コロナウイルス感染症に感染しているかどうか等については、判断できませんので、お住まいの地域の保健所にご相談くださいますようお願いいたします

多くの人に発信して下さい。マスク・手洗いはしっかりしながら普通の生活に戻ろう。日本は、当たり前の生活に戻れるんだと。

コロナとの共生” への1件のコメント

  1. おはようございます.こなです.

    間の抜けた書き込みになると思いますが,少し理屈を言います.

    この度のコロナ騒動を見てつくづく思うのですが,結局,現代人っていうものはびっくりするほどの科学技術「信者」なのでしょうね.
    科学技術が進歩さえすれば,世の中の全ての問題に解が見つけられるとでも思っている.

    そして,ここからはちょっと被害妄想ですが,何か解決できない問題に直面すると,途端に,担当となる科学技術者に
    「早く問題解決せえや!」と悪態をつく・・・.

    コロナの場合,それがPCR検査やワクチンの推進でしたよね.
    「PCR検査をちゃんとしたら・・・」
    「ワクチンをちゃんと接種したら・・・」
    いずれもそのあとに,「コロナなんて収束するんだろ! 根絶するんだろ!」という思い込みがある.

    でも,それはどこまで行っても無いものねだりでしかありません.

    科学技術(医療技術も含む)の最大の問題点は,「直観的に理解しにくい」点にあります.というかこれは,本来は因果が逆で,人間が直観的に理解しにくい問題を取り扱うために,そもそも「科学技術理論が構築」されているのです.

    誤解を恐れずに,ごく簡単に言うと,科学技術の世界において,「何がどこまで理解できるか,制御できるか」を考えることは,同時に,

    「どこから先は理解できなくて,制御できないのか」

    を知ることでもあるのです.

    例えば,現代の極めて清潔な人間の生活空間が当たり前と思っているでしょうが,これは,自然界全体からしたら,非情に偏った不自然な状態です.
    「ひたすら除菌をし清潔を保つことは,バイオダイバーシティ的には偏った状態,不自然な無菌空間に何らかのきっかけで風穴があいた途端,今回のコロナ禍のようなパンデミックが起きるのは当然」となります.

    狂牛病プリオンなんかも,全く同じ構図でしたよね.人間の都合で「自然をゆがめる」から,大きなしっぺ返しが来る.理屈としてそうなっているのです.

    あえて哲学的な言い方をすれば,現代社会の価値観(科学技術万歳!)の中で,我々が人間らしく生きようとする自体に,そもそも「業がある」となります.

    自動車なんかなかった時代は,交通事故なんてなかったですよ(馬にぶつかる,位はあったでしょうが).エネルギー源をバリバリ消費することなどなかった時代にはCO2の増加などなかった・・・.そして,それがそもそも「自然」な状態.

    だからと言って,原始社会に帰れ! みたいなことを言いたいのではありません.現代のような安全で,清潔で,便利な社会を享受する限り,トレードオフとしてリスクも伴います.しかもそのリスクは決して,

    「担当の科学技術当事者,あるいは,その裾野にいる利権者」の怠慢のせいなんかではなく,より本質的に,「理屈として避けられないリスク」なのだということを知らなければなりません.

    「自動運転ができれば,交通事故なんて無くなる!」 こういうのが,全く分かっていない例です.人間の生物的な頑強さを超えたスピードで移動する限り,例外的なトラブルに巻き込まれて衝撃を受けたら,人間の体なんて一瞬で粉々になる.一見安全になれば,間違いなく,人は「その分より早く,より便利に」を要求します.しかし「速度の二乗で増大する運動エネルギー」は,科学技術がどんなに発展しても「減らすことなんてできません!」.これが,理屈.

    そういう意味では,コロナとの「共生」などという,生ぬるい「人類皆兄弟」みたいな標語こそ,人類の業から目をそらす大間違い,大勘違いです.
    互いに話し合えばわかるかって? コロナだって,人間に容赦をしてくれるようになるはずだって? んなことありますか! 

    エントロピー増大の法則が示すように,どんな物質であっても,それらに特段の意志さえなくとも,あらゆる物質は「自然に広がっていく」もの.現代社会が微生物的に極端に偏っている限り,偏りを戻そうとするドライブ(駆動力)が働きます.共生なんていう生ぬるい関係じゃありません.どこまで行っても,「支配・被支配」の関係です.

    「ドキンちゃんは,食パンマンと結ばれますか?」
    →「いいえ,所詮は食品とばい菌です.結ばれることはありません(やなせたかし談)」です.

    やみくもに,人々の生活(経済)を犠牲にしてコロナのみ叩きつぶししたとしても,「日本では年間100万人が亡くなる」という事実はつゆほども揺れ動かないでしょう.死因の構成がほんの少し変わるだけで,統計学的には恐ろしいほど「自然に」人々は人生を終結していきます.

    新たな命をひたすら育むことでしか,人類は生きながらえない(否,全ての生物が同じやり方).これもまた生物界における「避けられない理屈」ですね.

    「ああすれば!」問題解決!
    「こうすれば!」問題解決!
    残念ながら,その多くな無責任な妄想です.世の中で,本質的に解決しない問題の多くは,その背景に「それが解決しない理屈」があるのです.理屈無き思い込みなど,「安っぽい新興宗教みたいなもの」でしかありません.