奇異な国

今朝の産経「湯浅博の世界読解」は、「パンデッミク後の世界分断」要約。

4月20日付フイナンシャル・タイムズ紙より。シカゴの中国総領事館から、米ウイスコンシン州議会議長宛に「中国の対応を賞賛する決議」の案文がメールされた。議長は「親愛なる総領事殿、ふざけるな」と返信した。

世界中から何時までも、「武漢発祥のウイルス」と言われたくない中国指導部は、1月22日付の国営新華社では「武漢ウイルス」と書いていたのに、ポンペオ米国務長官が言及すると、「人種差別だ」と逆上。いつの間にか、新華社サイトから「武漢ウイルス」の見出しが削除されていた。成程、中国が歴史を塗り替えるとはこういう事か。

中国共産党は身勝手な宣伝戦に頼り過ぎて、逆効果を生む傾向がある。「普通の国」なら、まず、ウイルスを世界に拡散させてしまったことに遺憾の意を表す。次いで、ウイルス関連の詳細なデーターを国際社会に提供し、同情と尊敬を得ることになる。勿論、政権交代は覚悟の上だ。 そこは全体主義の悲しさで、何より体制護持を優先して「隠ぺい工作」と「対外宣伝」に走る。隠ぺいに失敗すると、脅しを交えて反論し、米軍のウイルスばらまき説という陰謀論に飛びついた。そして、世界に散らばる大使館や領事館を動員して、独裁統治システムの優位性を誇張するキャンペーンを展開した。

今回の感染爆発は、習近平政権の失策であり、自らが国際的なサプライチェーン(供給網)を破壊する流れが強くなりつつある。 中国に医薬品成分の大半を依存する米国は、国内の医薬品増産を奨励する法案を出す。 欧州も、ウイルスを世界にばらまきながら粗悪なマスクや医療器具を送り付けられ「詫びるどころか恩に着せる」態度に、かってない屈辱を味わった。 彼らは、中国依存を見直し、ファーウエーの第五世代(5G)移動通信ネットワーク導入も見直す声が出てきている。 安倍首相も「未来投資会議」で、生産拠点を日本や東南アジアに移して多元化する企業への支援を明示した。 北京は、日米欧のサプライチェーンが断ち切られる事を最も恐れている。 だが、多くを西側製品とするには、あなた方の覚悟が欠かせない。 あなたは、安いが安全が疑わしい中国製と、高くつくが安全な国産のどちらを選ぶか? 【終わり】

「例え、全体主義の国であろうと、そこに住む国民は同じ人間だ」というと、左右全てが丸く収まるのでしょうが、私は強烈な違和感を覚えます。5%の共産党幹部と家族達が、残りの95%の自国民の人権や夢や自由を貪っている国です。 少なくとも私は、そんな人々と同じ人間だとは思いたくありません。

>自分を守ることより、他人に迷惑を掛けないようにと伝えるとマスクをする事の重要性に気づく、この心意気が、実のところ今一番日本を守っていると思います。

これが普通の日本人なのですが、他国ではこれが賞賛に値する心意気となる。 「全く強制力のない緊急事態宣言」を発令しても、何とか形になっているのは、世界中で日本だけ。 本当は、緊急事態法の発令で、強制力や罰則を加えるのが当たり前なんですが、日本って本当に奇異な国に見えるんでしょうね。

奇異な国” への2件のコメント

  1. 武漢ウイルスについての雑感を続けさせてください。

    私の感覚からしたら 日本も奇異な国だと思います。

    この武漢ウイルス騒動で、なぜに無責任な評論家(医療評論家以外ですよ)それが日本の意見になるのかな?
    私は経済対策は行う前提での休業要請はわかる。しかし、補正委で予算を組んでもたかだか数十兆円。それには短期的視点からと中長期的視点からの予算が必要であるが、目の前のことに集中することはわかるがその後の予算配分をどのように適切に責任をもって行うかは 絶対といっていいほどどなたも発言していない。
    今できることは、安倍総理含め、各首長はよくやっていると思う。マスコミ含め、経済アナリストの予測が本日の産経新聞に記事としてでているが、経済アナリストですらかなり大きな開きがある。

    医療についても武漢ウイルスの終息についてはばらつきがある。

    こうしたことから責任をとれる対応を、ってのはのれに責任が発生しないものが、無責任に語っている物語のでは?と思う1か月ですね。

    今回のマスコミ含む評論家の大半は(あ、大半の野党議員も追加します)、東京オリンピックが延期されたことを予言していたオカルト的予言者を、世紀の預言者と扱うオカルト情報関係者と同じであることを認識してほしい。(でも私は、エンターテイメント性があれば、娯楽作品としてはありかな、と思うこともある)

  2. つでにもう一つ奇異なこととして記述させていただきます。

    私や子供たちが野球をしているのからの 個人的意見ですが、日本高野連が6月に全国高校野球選手権大会を開催するかどうか、ということで、インターハイ中止を決定した高体連との比較で、野球はなぜ特別?インターハイが中止だから中止、と言っていることで意見。

    インターハイが中止という観点からの中止判断は理解はできる。しかし、高校サッカー・ラグビー・バレーボールの各協会は、勿論、中止にするんだよね?今年の3年生、申し訳ないが、運動・文化の全国大会を中止するので、、、。というのであれば高野連は従わなければなりません。それこそ平等に反します。

    甲子園が終了してから各競技の3年生最後の大会があるこうした競技関係者が、高野連や高校野球だけ?と本当に思っている?

    受験などで 年末年始にある各競技の経験者の多くはインターハイで引退することはわかる。
    でも見方を変えれば、年末年始があるじゃん、で高野連を批判することはできないよ。

    高野連が朝日や毎日の利益集団でることは批判はしても、真の夏の甲子園を開催する云々の批判に対しては、高校生の平等と言う観点からであれば、大いに反論してもらいたい。

    できる限り開催したい という考えすら否定するのは、9条を守る会のようなヒステリックを生む危険もあることを指摘したい。

    そう考えれば、日本も奇異な国であるかも。