杉田氏の事など

杉田さんのLGBTを、まだ執念深く・・・「モリカケの疑惑は深まった!」と、立憲民主党の野豚が言ったのに、立憲と国民の野党議員らの関与がバレた瞬間に、報道しない自由で追及しないマスゴミ。 

性的少数者(LGBTなど)を「生産性がない」と否定する杉田水脈衆院議員の寄稿を掲載した月刊誌「新潮45」が、18日発売の10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んだ。

 杉田氏への批判は「見当外れの大バッシング」だとし、教育研究者の藤岡信勝氏や文芸評論家の小川栄太郎氏ら7人の寄稿を掲載している。企画の狙いを問う毎日新聞の取材に、同誌編集部は「誌面の内容が全て。多様な意見を掲載しているので精読してほしい」などと回答した。

 杉田氏の寄稿は同誌の8月号が掲載した。「LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるのか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がない」などと主張。「ナチス・ドイツと同じ発想」「相模原障害者殺傷事件の植松聖被告と重なる」と批判が広がり、自民党本部前で抗議集会も開かれた。

今回の特集について杉田氏の事務所は取材に「(杉田氏への)殺害予告の捜査に進展がなくコメントできない」と回答した。(毎日新聞9月18日)【宇多川はるか】

よっぽど杉田さんの国連での活動が目障りなんだろうな~ 今回の講演での杉田氏の提案でしたが、「米国は国連の人権理事会を脱退した。国益に反する事があれば、どの国でも普通に行う事だが、日本は戦後1つの条約も破棄していない。日本は変な処で真面目過ぎる。日本は一時的にでも、国連の人権差別撤廃条約を破棄すればよい。そうすれば、反日左翼の国連での活躍の場が無くなる」。

そして、今回の関西生コン支部問題。恐喝・恫喝で、100億ものお金を稼いだこの組合は、北朝鮮ともシナとも繋がっている。そのお金が今、左翼の沖縄騒動の資金になっているとも言われましたよ。全額は間に合いませんが、一応、資金凍結されたようですけど。

さて話変わって、皆さんも私も良く分からない、ロヒンギャの民族問題です。

【ジュネーブ 共同通信】  ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ迫害に関し国連人権理事会が設置した国際調査団は18日、ミャンマー国軍が一連の迫害の「主犯」だとする報告書を発表した。組織的な殺害や性暴力など深刻な人道犯罪を確認したとし、ジェノサイド(民族大量虐殺)を意図していた可能性もあるとしている。調査団は安全保障理事会に対し、人道犯罪などで訴追権限を持つ国際刑事裁判所(ICC)へ問題を付託するよう勧告。迫害の実行者に渡航禁止や資産凍結などの制裁を科すことや、ミャンマーへの武器禁輸も求めた。【終わり】

上智大学教授で、ビルマ近現代史に詳しい「根本 敬」氏の文献を参考にすると。歴史的にも、かなり根が深い問題のようです。

ロヒンギャを名乗るようになった集団そのものの起源は15世紀まで遡ることができる。当時のラカイン地方に存在したアラカン王国(1430-1784)の中に、ベンガル出身のムスリムが一定数居住し、王宮内で役職に就く者もいた。

その後、19世紀に入ってラカイン地方がイギリスの植民地となると、ベンガル地方から連続的に移民が流入し、数世代にわたってラカイン西北部に住み着き土着化する。このときから多数派のラカイン人仏教徒とのあいだで軋轢が本格化する。

20世紀になると、第二次世界大戦中の日本軍のビルマ占領期に、日本側が武装化した仏教徒ラカイン人と、英側が武装化させたムスリムとのあいだで戦闘が生じ、日英の代理戦争を超えた「宗教戦争」と化し、両者の対立は頂点に達する。

戦後も東パキスタン(現バングラデシュ)からの移民が食料を求めてラカイン西北部に流入し、独立したばかりのビルマ政府の統治が及ばないなか、その一部はムジャヒディンを名乗って武装闘争を展開した。その後も1971年のインド―パキスタン戦争(バングラデシュ独立戦争)の混乱期にラカインへ移民流入が見られた。

1948年に独立したビルマは、しばらくの間、ロヒンギャを差別的には扱わなかった。1950年代後半から60年代初頭までロヒンギャ語によるラジオ放送(短波)を公認していたほどである。

しかし、1962年に軍事クーデターが起き、政府軍(国軍)が主導するビルマ民族中心主義に基づく中央集権的な社会主義体制(ビルマ式社会主義)が成立すると、扱いが急速に差別的となり、1978年と1991-92年の計2回にわたり、20万人から25万人規模の難民流出をひきおこしている。

この間、1982年に改正国籍法(現行国籍法)が施行されると、それに基づき、ロヒンギャはミャンマー土着の民族ではないことが「合法化」され、ロヒンギャを主張する限り、外国人とみなされるようになった。

状況によっては臨時の国籍証明書が与えられ、自ら「ベンガル系」であることを認めた者には正規の国籍が与えられることもあった。

ロヒンギャが多数派を構成するラカイン州西北部のマウンドーとブーディータウン両郡では、1990年代以降、その地域から外への移動が許可制となり、多数派ラカイン人と少数派のロヒンギャが共存する州都のシットウェーでは、2012年に発生した両者間の民族暴動を機に、中央政府がロヒンギャ住民を収容所のような一区画に押し込め、そこから出られなくした。

また、2014年に31年ぶりに実施された人口調査では、ロヒンギャはベンガル人だと認めない限りカウント対象からはずされ、さらに臨時国籍証をはく奪して「審査対象中」というカードをかわりに与え、事実上の無国籍者とした。

翌2015年には総選挙を前に、それまで認めていた選挙権と被選挙権もとりあげた。同年5月には人身売買業者が仲介したロヒンギャ難民のボート・ピープル事件も発生し、南タイ沖で木造船に乗ったロヒンギャ集団が漂流したり、陸上で人身売買業者によるロヒンギャの集団殺害が発覚したりして、国際社会を騒がせている。

ミャンマー国民がロヒンギャを差別する理由には3つある。

ひとつは彼らが保守的なイスラームを信仰する集団だからである。国民の9割近くを占める上座仏教徒は、少数派のキリスト教徒やヒンドゥー教徒にはさほどの差別意識を持たないが、ムスリムには強い嫌悪感を有している。

人口統計では証明できないにもかかわらず、彼らはムスリムが高い出生率を維持して人口を増やし、「仏教徒の聖地」ミャンマーを乗っ取るのではないかという漠然とした恐怖心を抱いている。

また、ムスリムが仏教徒女性を騙して結婚し、イスラームに改宗させ、子供をたくさん産ませているという「理解」も広くいきわたっている。

もうひとつはロヒンギャに対する人種差別意識の存在である。肌の色が一般的なミャンマー土着民族より黒く、顔の彫りが深く、ミャンマーの国家語であるビルマ語を上手にしゃべれない(ロヒンギャ語を母語にしている)ことへの嫌悪感が、彼らに対する差別を助長させている。

3つ目は、これが最大の理由であるが、ロヒンギャがベンガル地方(バングラデシュ)から入ってきた「不法移民」であり、勝手に「ロヒンギャ」なる民族名称を「でっちあげ」、「ミャンマー連邦の土着民族を騙っている」ことへの強い反発を有しているからである。

彼らにとって、ロヒンギャは「民族」ではなく、「ベンガルからの(不法)移民集団」でしかない。リベラル派(民主化支援派、人権派)のミャンマー人であっても、そうした理解に大きな違いはない。

民族の融和などと、いくら欧米人が綺麗ごとを言おうと、その争いのもとを作ったのは英国のようです。

英国は19世に英国領としたビルマの統治に際し、イスラム教の少数民族ロヒンギャに武器と軍警察などの権限を与えて、大多数の仏教徒と対立させて、植民地弾圧を続けてきました。100年以上の抗争で、お互いに多くの人命が失われた「英国が仕掛けた宗教と民族の対立」は、簡単に融和が図れるようなものではなくなっています。アウンサン・スーチー氏は、元々英国育ちの政治の素人。国をまとめようとしても、なかなか難しいでしょうね。

国連は、こういう案件にこそ指導力を発揮し、「人権差別撤廃条約」などを、活かした「本来の人権活動」をするべきです。

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