防衛を軽視する国は亡び(てい)る

湾岸戦争のきっかけはイラクによるクウェート侵攻だった。

当時、イラクが強大な軍事力を持っていたのに対し、クウェートは貧弱な軍事力しかなかったからである。どちらも十分な軍事力を持っていれば、戦争が泥沼化することは最初から明らかで、そんな戦争を仕掛ける国などない。だから戦争に巻き込まれないためには、抑止力としてできるだけ強い軍事力を持った方がいい。これは至極単純な話である。

大東亜戦争で、アメリカは日本に原爆を投下したが、もし日本が原爆を持っていて、報復攻撃が物理的に可能だったら投下しなかったはずである。

戦争放棄を謳った日本国憲法第9条1項と同じような条項を成分憲法に持っている国は、世界で160近くある。放棄する戦争は「侵略戦争だけ」というのが、この条項を解釈するときの通説だが、どの国も国益のためなら「侵略戦争ではない」という名目で、当たり前に軍事力を行使する。

生真面目に、戦争放棄条項を守っている特殊な国は、日本だけといっていい。

他国から戦争を仕掛けられることについて、何の対策や工夫もせず、万一に備える努力もせずに、「日本には憲法9条があるから攻めてくる国はない」などと主張するのは、もはや宗教の世界だ。

中国が侵略して住民が虐殺されたチベットもウイグルも内モンゴルも、国際世論がどんなに非難しても二度と独立を取り戻せない。尖閣諸島や沖縄も中国に奪われてしまったら、絶対に戻ってこない。

憲法9条があるおかげで、竹島は韓国に奪われ、拉致被害者は取り戻せない。北方領土も取り戻せない。尖閣は危うい。中国とロシアの領海、領空侵犯は日常茶飯事。日本は自分で国を護れない状態。

北朝鮮は核兵器を持ったおかげで、どこからも攻められていない。北朝鮮軍は核以外の装備は極めて古く貧弱で、食料難で兵の士気も低く、燃料もないので訓練も満足に出来ない。核兵器は貧者の武器。

自国を防衛するだけであれば軍事費は安くつくと思うのは大間違いであり、敵地を攻撃する手段【核ミサイル】を持つことが、最も安上がりなのである。

一方、敵の攻撃から国土を守るためには、大変な軍備が必要である。

島国日本の防衛ラインは非常に長く、海岸線の総延長は米中を上回る。「防衛のための適地攻撃手段」を持たない限り、海岸線すべてを防御するのはまず不可能である。

小さな軍備しか持たない国が軍事大国に攻撃されれば、ひとたまりもない。

だから、軍事小国は、軍事大国に侵略されないように友好国と助け合いたい。この助け合いを可能にするのが「集団的自衛権」であり、国際社会では当たり前の概念である。

もちろん同盟国が戦争を始めたとしても、参戦するかどうかは、日本政府が自主的に決めるべきだが、日本に十分な軍事力がないからこそ、この自主性を十分に発揮できていない。自衛隊は法律でがんじがらめに縛られて、相手が攻撃してきて初めて最小限の反撃ができるという状態。

戦後の日本は、在日米軍と日米安保条約に守られている状態なので、アメリカに何を命じられても可能な範囲内で従わざるを得なくなる。要するに属国状態。半独立国である。

永世中立国のスイスは、国民皆兵をモットーにしている強大な軍事力を持っている軍事大国である。国境にかかる橋にはすべて爆破装置が仕掛けられており、国土防衛に関しては、ハリネズミ状態の国である。スイスが200余年間もどこからも侵略されないのは、全国民の必死の覚悟と、防衛力向上の不断の努力の成果だという。

自国の平和は、自国の力で守るという精神を日本も持つべきである。

2017年4月、日本学術会議は総会で、科学者は軍事的な研究を行わないとする声明を発表した。科学者ともあろうものが、世の中の現実からこれほど遊離してもいいのか。

現代の先端技術は、すべてといってよいほど軍事的な研究の成果である。GPSもカーナビもスマートフォンも電子レンジもパソコンもインターネットも、軍事研究の成果である。軍事的研究を否定することは、すなわち世界の技術から取り残され、日本が技術後進国に陥落することを意味する。技術立国日本は、衰亡の道をまっしぐらということになる。

軍事研究は、国の経済力だけでなく、安全保障政策にも直結しているのである。

「汝、平和を欲すれば、戦争を理解せよ」いう言葉がある。

戦争とはどのような状況で発生するものなのか、歴史を研究し、現在の世界情勢を直視して積極的に備える必要がある。「ダチョウの平和 :ダチョウは怖い事があると、地面に小さな穴を開けて頭を突っ込み、目の前の現実から逃げようとする」は、もう通じない。

この文章は、何時書いたものか覚えていません。おそらく、書き込み出来ない時に書いたものの1つでしょう。 それから、何度か加筆しています。

 

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