自由・平等・博愛

3月15日の産経オピニオン「モンテーニュとの対話:46」で。

イギリスの保守系高級紙「デーリー・テレグラフ」の電子版で、「ある法案がフランスで可決した。学校において、母と父の呼称を「親1号・親2号」に置き換えようと言うのだ。同性婚の家庭の子供に配慮するためだ。・・・」。

 この法案は「学校の信頼構築」法案と呼ばれ、マクロン政権与党の議員が発議し、左派政党も同調した。ところが、流石のフランスでも「行き過ぎ」と感じる人も多かったようで、本紙の三井美奈パリ支局長のコラム「パリの窓」によれば、「父、母の呼称を消す必要はないのでは」という国民教育相の注文で、今後の国会論議で再検討される見通しに成ったという。

 ただ、三井支部長はこうも書いている。{若い友人が「現実にはもう使われているよ。ウチでは父が親1号だ」というので驚いた。税務署や国鉄の文章で「親1号、親2号」の記載は広がっており、パリ市議会も昨年、採用方針を決めたとか}。(中略)

 「平等」を実現するために、歴史的で血の通った呼称を駆逐して、ロボットのような言葉に置き換えようとする今回の法案も、極めてフランス人らしい発想と言えないか。

 まともな裁判にかける事無く、国王と王妃の首をはねたフランス革命は、人間の理性だけで理想的な社会を構築できるという幻想と驕り、すなわち「設計主義」の産物だった。

 理性と暴力によって歴史の連続性を破壊して独裁政治とテロリズムを生み出した。それだけでなく、おぞましい共産主義の淵源にもなった。(中略)

ポル・ポトはフランスで共産主義思想に染まり、帰国後、毛沢東思想の影響を受けて蛮行に走ったのだ。(中略)

 ドイツの哲学者カール・ヤスパースは「歴史の起源と目標」という著書で、{フランス革命は、近代的非信仰の表現であり、起源なのである}と書いている。理性と暴力によって駆逐された神の代りに、その座に就いたのは、革命のスローガンであった「自由・平等・博愛」だった。

 こうして成立した共和国の構成員であるフランス人は、今なお、自由・平等・博愛という、理性でこしらえた「疑似神」を戴いている。

 モンテーニュは、{神の抑制がなかったなら、我々は我々の盲目と暗愚とを、いかなる傲慢不遜にまで持って行くか知れたものではない}と記している。

 父母の呼称を「親1号・2号」に置き換えようとする発想は、傲岸不遜の極みではないか。これぞ、理性と暴力によって、歴史の連続性を破壊したフランス人の負の遺産であろう。 

 はい1言。「フランス人は、自由と平等を際限なく求めていくと、全く折り合いがつかず、悲惨な結果になるから、理性的に博愛の精神を持とう」と思っている訳ではないのです。フランスは、この3つが同時に満たされる世の中にしなくてはならないと信じている人達の集合体である事を、日本人は認識する必要があります。

 

もう1つ *ゴーンの拘留は長くない。

日本のマスゴミは「日本の不当に長い拘留」なんて言っていたりしますが、フランスでは検察官が予審開始を請求すると容疑者を1年以内、延長すれば最長4年8ヶ月拘留できます。

日本の検察なんかめじゃないですよ。