終活

91歳の母親が購読している「ラジオ深夜便」という月間誌を、時々借りて読む。

 本の真ん中あたりの、頭木弘樹さんが書く、「寝学塾:絶望名言」。

 この文章の、「斜め上目線」の文章に、同感はしないが、とても面白く感じるのは歳のせいなのだろうか。

【なんて不公平なんだろう】・時間への失墜・(エミール・M・シラオン)

「病人の秘められた欲望は、誰もが病気になって欲しいということであり、瀕死の人のそれは、誰もが断末魔を迎えて欲しいということだ。私たちが様々な試練の中で願うのは、他の連中が私たちと同じように、私達以上ではなく、ちょうど同じだけ不幸であって欲しいという事だ」

私は45歳の時、余命2週間と告知されたらしい。

その医者の告知は、退院する時に聞かされたが、本人は、検査や治療の途中経過で薄々判ってくる。

突然、首から下が動かなくなったのに、医者は、「全ての検査結果は健康体であり、何の異常も無い。従って、治療の方法がない」というのだから。

結果的には、何とか助かって今がある訳だが、その時の気持ちを今思い出すと、「これが寿命なんだよな~」と、意外とサバサバしたもの。

残る家族には申し訳ないが、あきらめではなく、生きる執着が無くなった自分を、もう一人の自分が笑いながら見ている。でも、自分を見て笑っている自分は、自分が死ぬとは全く思っていない。

寿命が見えた時点で、家族は心残りだが、他人への関心は無くなるのが自然だと思う。

このシラオンという人は、そういう経験が無いんだな。

しかし、「普通」の健康体である事が、どれほど素晴らしく、毎日、感謝しても感謝しても足らないものであるかを、その時に充分学んだはずだが、未だに酒はやめられない(笑)

今は、一人自宅で飲んでいると、たまに、笑っていたもう一人の自分と、酒を飲んでいるような気分になる。

痴呆が出る前に、そろそろ終活を始める時期かもしれない(大笑)