あなたの老後

秋祭り。新宮神社神輿渡御式

毎年、200人を超える多くの人々の参加で成り立っている秋祭が、今年も無事終わりました。

どこでもそうですが、地域でお世話する方々の高齢化も、地域にとっては大きな問題です。現在一生懸命、祭のお手伝いをして頂いている70代80代の皆さんが出来なくなったら、赤ちゃんを連れて祭に来ている若い人達は、次の担い手になれるのか?

廿日市市消防団出初式

若い頃から、次の地域の担い手を取り込むためにも、PTAや、消防団などへの勧誘・参加が必要なのですが、人の世話をした体験も興味も無く、平面的にしかモノが見られない人達に限って、上から目線でPTA廃止論などを唱えて悦に入る傾向があります。

以前、毎年の豊作を祝う地元の祭り「二百二十日豊年祭」が、土日の2日間もあるのは大変だからと、盛り上げる側の実行委員会が独断でバッサリ一日にしてしまった。

実行委員会のメンバーは、この祭りが市民祭として、市からスズメの涙ほどの予算(60万程)が下りて以降に参加した人達(商工会議所)が多く、予算のほとんどを開会セレモニーに使う頓珍漢。

これは、毎年9月第二土曜に行われる二百二十日祭ではなく、秋祭りです

知らないからしょうがないとはいえ、江戸時代から続いている祭ですよ。いくら面倒くさいからって、誰の為の祭りなのかを考える事も無く、200年以上継続してきた先人に対しての想いも無く、伝統への認識も低すぎ。もう怒り心頭でしたが、それこそあとの祭り。

実行委員会のメンバー内で、昔から関わっていた人達は反対したのですが、多勢に無勢。御輿に乗せられただけの商工会議所の役員さんには大変お気の毒ですが、衰退の一途を辿る祭りの1つになるでしょう。

私もそれ以来、この祭りには本気で向き合う事を辞めました。

先人からの伝統を、地域の絆によって、次世代へ継続していくという自分達の役割を、いくら経験が無いとはいえ、地元青年部ですら認識できていないのは驚きでした。

小さな子供を連れて祭を楽しんでいる人達も、いつまでも若い訳じゃない。わずか、わずか30年後には、老後は自分達自身の問題になるという想像力も無いのでしょうね。

2030年からの「多死の時代」でも、瀬戸内海に灰を撒いたら不法投棄ですよ。その前に、誰が葬式を出して、灰にしてくれるのかを想像してみて下さい。それを全て公に委ねられるほど、市の財政は豊かではありません。

私は親と同居しておりますが、今の時代、子供が親と一緒に生活してくれるなんて、甘い期待などしてはいけません。あなたも、様々な理由を付けて親とは同居しなかったでしょ?

それでも所詮、みんな最後には間違いなく一人暮らしになるんです。

その時に頼れるのは、遠く離れて年一回も帰ってこない子供達では無く、ご近所さんです。ご近所付き合いの良し悪しが、自分の最後の看取りにつながるかもしれません。

まだシッカリしている時に、しっかりと地域に貢献して、最後を迎えた時、どれほどの人達が、自分の死を悼んでくれるか。

「人間死んで名を残す」っていうのは、「例えば、織田信長が後世に名を残した」という意味だけではなく、その人が亡くなった後に、どれほどの人が、自分の想い出話をしてくれるか・・・という意味もあると、遥か昔の先輩から教わったことがあります。

「情けは人の為ならず」。人の為に働けば、いつかは自分に帰ってくるものです。故郷である自分の住む地域を、もっと大事にしましょう。

それでも、余分な付き合いなど面倒と言われるあなた。

あなたは、いつまで傍観者でいるんですか?これからの時代、現役を終えてからの時間をどう過ごすかを、若い頃から考えておかなくてはいけません。

一日中TVしか見ないし、一週間誰とも話してない。買物に行くのも面倒。洗濯は洗濯機で出来ても干せない。掃除したいけど掃除機が重い。ゴミ出しが出来ないからゴミが溜まって臭い。あなたにも、こういう現実が待っているのです。

間もなく平均寿命100年時代に突入です。老後は長すぎますからね。

さて、こなさん。>税金という形で金を集めて、公共に役立つ部分の「国家建設」をする。その基本中の基本が、多くの人の頭に定着していないことが、残念です。

少しこなさんの意図とはズレますが、廿日市市のゴミ有料化の話を次回はしたいと思います。