まさに、この一言につきます

>人は,自分の知恵や,尽力,能力でどうしようもないことに対しては,口をつむぐべきだと思います.

日本は、憲法改正の手法を一つとっても、衆参で三分の二以上の賛成が要り、そのうえ国民投票で過半数が必要という、世界で最も厳しい規定があります。

昭和20年8月15日に大東亜戦争は停戦(終戦ではありません)されましたが、その年の9月2日に戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印があり、日本はGHQの占領国となりました。

皆さんによく認識して頂きたいのですが、占領期間とは停戦期間であり、占領された国は主権を持てない状態です。 その主権が無い時期に、日本が主権を行使して主体的に憲法を改正したという、バカげたことをのたまう「お花畑左翼」が沢山居るし、その言葉に疑問さえ感じない多くの無知な国民達がそれに追随する。

占領した国に憲法改正を迫ったGHQは、それだけでも立派な国際法違反ですが、それを甘んじて受けたなら、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効時点で、GHQの占領が解けて、日本が実質的な主権を取り戻した訳ですから、その翌日には現憲法を破棄し、明治憲法を改正すべきでした。

しかし現実には、時の政権はその選択をすることなく、日米安全保障の傘を利用して、自国の防衛を怠った。

今の我々は、そのツケを元本利子ごと一括返済しなくてはならないのです。我々が選んだ国会議員の三分の二が賛成したのに、その上、自分のこと以外は興味もなく、国防など考えた事もない国民の過半数の賛成を取れと。

この改正手法のおかしさに気づきませんか?

国民が支持した国会議員票が三分の二あろうと、「憲法改正反対派三分の一の民意」の方が大事だ。しかも、国会議員の三分の二可決よりも、国民の過半数の賛成のほうが重要であると。

これは完全な議員代表制の否定であり、過半数を基本とする民主主義に反していますし、現憲法の概念にも合致しません。

色々な問題を起こす方々がいらっしゃいますから、全ての政治家が国民を代表しているとまでは申しませんが、一旦選挙で選ばれたほとんどの方は、その選んだ人々の意思を国会で生かすための努力をし、政治屋ではなく「政治家としての矜持を持って」国家国民の為に働いています。

憲法改正は、国防や外交だけではなく、生活の多岐に影響がある難しい問題です。やはり日本の法律の根本である憲法改正は、その道のプロに任すべきであり、国の行く末のことを国民の意思で決める無責任さ危うさを、全く解しない人々に大きな疑問を感じています。

まさに、この一言につきます” への2件のコメント

  1. 吉田茂の政治判断(吉田ドクトリン),というヤツですね.

    「改正憲法を保持したまま,安保を組む」

    こうすることで,とにかく,形としては日本の主権を取り戻した男.そのことに対して,今でも,毀誉褒貶がはげしく飛び交っています.が,個人的には,既にこれは歴史の必然だと,歴史に一部になっていると感じています.個人的には,蒸し返す積もりはありません.

    ただ言えるのは,吉田ドクトリンを受け入れた(受け入れざるを得なかった)日本の現状は,より正しくは,

    「日本もまた分断国家なり」

    なのではないでしょうか.要するに,日本は完全な独立国家に,そもそも成れなかった,なりきっていないままなのです.

    戦前戦中と,米国は,日本という「冷戦を防ぐためのコルクの栓」を叩きに叩いて,無理やり外してしまいました.しかし,その結果はどうだったでしょうか? 米はソ連との直接対決を迫られるようになり,あっという間に,東北アジアの国々は分断国家となりました.朝鮮半島や大陸と台湾が分断したのは,要するに,「米vs.ソ対立パワーゲームの駒になった」ためです.そして日本もまた,もう一つの戦場にならずには済まなかった.

    ただし,日本は戦争に負けたとはいえ,他の東北アジア諸国よりかは国家の安定度が高かった.ゆえに,国家自体の分断は免れたのですね.のですが,そこには,吉田首相の政治判断的なトリックがあったわけです.

    ソ連の牙が見えだした米国が,まさか,タダで日本を独立国家に戻すつもりもなく,一方で,ソ連(その後は中国)からみれば,中途半端な独立風情となった日本に,土足で踏み込んでくるようになったわけです.

    かくして,戦前のエリート達は十把一絡げに放擲されほぼノーマンズランドとなった日本の精神的土壌に,「進歩的知識人との呼び名で大学やマスゴミを占拠した左派」と,「アメポチと呼び慣わされる軽薄な経済至上主義の連中」ばかりが土足で踏み込んできて,爾来,彼らの陣取り合戦がいまだ飽きることなく続けられているというわけです.

    この不愉快な現状を自力で打開出来ないのは 確かに情けなくって不愉快ですが,言い替えると,日本の分断が終演する時には,

    「南北朝鮮や,中台間の分断も終わっていなければならない」

    と,こなは考えています.要するに,全ては複雑に絡んでいる.日本だけが,さっさとこのゲームからイチ抜けたと逃げおおせることは出来ないでしょう.日本の方から放っておいてくれと頼んでも,周りの方から日本に絡んで,ストーキングして,最後にはご丁寧にも攻め込んできてくれることでしょう.

    国民の意識が低いというのももっともな嘆きですが,この「パンドラの箱の大きさに警戒するという直感」も,多くの国民が共有しているように感じています.

  2. それじゃどうすればよいのか・・・,

    上述の理屈(東北アジアの不安定性と,日本の中の精神的分断が完全にリンクしている)という現状を正しいこととして受け入れた限り,出てくる結論は一つしかありません.

    あまり言いたくはないのですが・・・,

    戦わずして,それも,東北アジアの不愉快な現状に対して,真剣に,身を切る思いでの戦いを挑まない限り,日本の中のねじれは決して解消しないという現実です.

    その意味では,今の日本では暴言ですが,まさに,「戦争を出来る国」にするしか,解決策はない.

    「へいわがいいよぅ,ね,みんな,へいわがいいよねぇ」

    という消極的な平和論では,決してこの問題は解決しない.暫定的に解決したように見えたのだとしても(そのように感じている日本人は多いですが),それは奴隷の平和でしかない.

    中韓に,友好の名の下にあれこれヘルプして得られた結果を見れば,これは一目瞭然でしょう.彼らは,日本のことを,

    「強く出ればくじける,奴隷根性満載の弱虫」

    と見ています.これは見事に,国民的(人民的?)感情として,揃いに揃って,そういうホンネを日本人に対して抱いている.

    その現実に,「痛みを伴って」対峙しない限り,この問題の根本解決にはならないというのが,かなしいかな,こなの結論なのです.