沖縄はウクライナのようになるのか

明日まで議会のため、書き込みができません。でも、大切なお話がありましたので掲載します。

保守の会会長 松山昭彦さんのブログより

「虎ノ門ニュース」(令和元年6月18日)、ウクライナ人留学生のナザレンコ・アンドリー氏が、ロシアに侵略される前のウクライナと日本の現状が全く同であるとして日本人に警鐘を鳴らした。

https://ameblo.jp/bonbori098/entry-12482897719.html

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ナザレンコ・アンドリー:「ウクライナでは『防衛費はいらないから福祉に回せ』『核兵器は恐ろしい』『軍事同盟を結ぶと外国の戦争に巻き込まれるから絶対に中立がいい』ということをずっと言ってきて、ウクライナはその政策を採った結果、戦争になった。

私が2010年に日本に来て駅前で日本共産党が全く同じようなことを言っていたので、それを聞いて私は強い危機感を抱いた。つまりウクライナは日本共産党が言うようなことを維持した結果、戦争になったから、そういう主張は不変の戦争になるルールと言ってもいい。

平和はパラーバランスによって成り立っていることを忘れたら必ず攻められる。日本ではウクライナと同じ悲劇は起きてほしくない」。

居島一平:「ウクライナの親露派市長はウクライナ人のデモに『ロシアを刺激しないで』と言った。沖縄の玉城デニー知事は日本の尖閣周辺で中国船がパトロールしていたことに『中国船を刺激しないで』と同じようなことを言った。

また国連でウクライナのロシア活動家が『クリミアでロシア系が人種差別を受けている』と訴えていた。日本も国連で『沖縄は日本から人種差別を受けている』と訴えていた」

百田尚樹:「ウクライナのグレンコ・アンドリーさんが、ウクライナには他国民族がたくさんいて、ウクライナのことを『悪い国だ』と言う。

ところが『そんなに悪いならロシアに帰れ』と言っても彼らは絶対に帰らない。

そして『この国はひどい』と言うから、『そんなこと言うなら祖国に帰れ』と言うと『差別だ!』と言ってくる。日本の在日にそっくり」

ナザレンコ・アンドリー:「多くの日本人は国家が何のためにあるかわからない気がする。ある日本人は敵に攻められたら『抵抗しない方が害を受けない』と言っていたが、実はその人が日本語を話せて、福祉を受けられて、生きていることも日本という独立国家があるお陰なんです。

そもそも外国が日本に攻めてくるのは日本人を搾取したいから攻めてくるんです。だから害を受けないはずがない。

ある動画でおばちゃんが『自衛隊を街の中に入れないで』というボードを出していたが、ウクライナでは正反対なことが起きていて、おばちゃんが軍人の前で膝まづいて『お願い! この街を出ないで下さい。軍人がいなくなったら私達はどうなるかわからない』と泣きながらお願いしていた」

百田尚樹:「日本には知らない間に共産主義になっているおバカがたくさんいる。例えば『日本が戦争になったらどうしますか?』に対して『全く無抵抗です。抵抗しないで日本が滅んでも、日本という美しい国があったことでいいじゃないですか』というバカもいる。名前は森永卓郎というバカです。

或いは『僕は中国には謝って、謝って、謝り抜いて生きていく』というバカもいました。やくみつるというバカです。

日本にはそんなバカがゴロゴロいるんです。しかし仮に日本が中国に占領されたら日本人は生きていけない。住んでいる土地から出て行けと言われ、娘を勝手に連れて行かれたり、それに『何するんだ!』と日本語をしゃべっただけで死刑にされたり、そういうことが実際にあるんです。ウクライナがそうなっているんです。

そういう現実を一切無視して『いやいや、中国に占領されても政府が中国に変わるだけで私達の生活は変わらない』と思い込んでいるバカがいるんです」

ナザレンコ・アンドリー:「きれいごとで戦争を止めることは出来ないし、一部の日本人には米軍が守ってくれると思っている人がいますが、その米兵には祖国に自分の家族がいて、日本のために死にたいと思っている人は誰一人いない。だから日本人には自国を自力で守る認識を持たないといけない」(文字起こしここまで)

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現実を知らない日本人が多くいるのは戦後占領政策による洗脳工作からはじまり、「平和教育」という名の「侵略誘発教育」が実施され、メディアでも「戦争=悲惨」という放送で「日本は二度と戦争しない不戦の誓いを立てて平和憲法がつくられた」とやることにある。

学校教育もマスコミも「国を守るためには軍隊保持と核武装が必要だというのが世界の常識である」という事実は絶対にやらない。

なぜなら日本が強くなるからである。日本が強くなって困る国はどこだ。

大体、「戦争」と言っただけで議員辞職や糾弾決議が全会一致で可決され現状である。

奪われた領土を取り戻したり、拉致された国民を奪還するために、戦争も辞さないという意志を相手国に示すことを、はなっから捨てて、軍事力もなく外交交渉での「話合い」だけで解決しようとしているのだ。しかも国民も「なかなか解決しない難しい問題だ」と言っているのだから、本当におめでたいと言わざるを得ない。

なぜチベット僧が火だるまになって訴えているのか?

なぜ香港ではシナの支配下になりたくないのか?

シナに侵略されても「今までと同じ生活が出来るから問題ない」と言っている人間は本当のバカかシナの工作員であるかのどちらかである。

 

沖縄はウクライナのようになるのか” への4件のコメント

  1. 先のタンカー被弾にかんしては,確定的な情報がもたらされなかったので,何ともコメントのしようがなかったのですが,このわだいなら,まあ,言いたいことはあります.

    「戦後日本は遠きになりけり」とは言いますが,この問題こそ,敗戦によって産み付けられた戦後日本人特有の精神的な歪みを象徴しているものはありませんね.

    この問題にはいろいろな角度から議論ができるのでしょうが,私はここに「戦後日本人の決定的な父性の欠如」を読み取ります.

    例えばこんな話です.

    小学校などのメーリングリストで,時々変質者(っぽい)人が現れたとの情報があります.

    そこにある情報は,「危ないから逃げなさい!」だけです.要するに,理不尽な悪があったとして,それを恐れて逃げなさい,としか情報がない.

    その変質者が捕まったとしても,その情報が流されることはありません.

    とりあえず逃げなさい,は正しい.でも社会正義として一番必要な情報は,

    「大人たちが必ず捕まえちゃるから,必要以上に心配しなさんな」

    という意思表示です.が,そういうところにとんと気が回らないのが,戦後日本人って所でしょう.

  2. もちろん,「正義を糺す父性」に向けてのムーブメントもあって,それが例えば,

    「自殺するなら一人で死ね! 他人を巻き込むな!」

    の議論でしょう.寝るけーのさんのこのブログも,「父性の復権」というテーマが貫かれています.

    ただし,ここでもう一つ付け加えるとすれば「正義を糺す意思表明」には,それに見合った

    「立場の獲得」

    が先行してないなければならないのですよね.

    寝るけーのさんの場合も,それ故に,議員という立場を得ているわけです.

    こう書くと,一歩間違えると「素人は口出しするな!」の暴論に聞こえるかもしれません.民主主義にもとる意見だとも感じられるかも・・・.

    でも,実際に変質者を捕まえるためには,警察というぷろ組織が必要です.いくら義侠心にかれれてたとしても,ガッコのセンセが自ら変質者と対峙できるかけじゃない.

    ちょっと違う例でいうと,マスごみは子どもの虐待に対してやれ「児童相談所」に不満をぶつけていますが,彼らは単なる役人で専門家でも何でもない.

    「虎穴に入らずんば,虎児を得ず」

    責任を果たすためには,正義を貫くためには,それに見合った訓練を経て,信任を得て,プロにならなければならない.そして社会の方も,そのようなプロに対して,とりわけ,自らの身の危険や命の危険をさらしてでも正義を貫くプロに対しては,大いに経緯を払わなければならない.

    ここが,今の日本においては,ごそっと抜け落ちている.

  3. テレビドラマなんかでも,政治家が出てくれば必ず金に汚い悪役のイメージです.

    要するに,「権威や立場の獲得は,暴君への切符だ!」という一方的なイメージを押し付けるばかり.

    もちろん,人間は弱い生き物でもありますから,権威の陰にそのような闇が付きまとうのも,これまた一つの現実でしょう.が,立場もない無垢で素人的な若者がそのすべてをひっくり返すというストーリーは,あくまでもおとぎ話にすぎません.

    物語(=作り話)に熱狂する気持ちも人間らしいものです.が,その一方で,物語(=作り話)などくだらないと切り捨てる勇気も必要なのです.

    「ただただ,平和にのんきに暮らしたいだけだ,それなのに・・・,米軍が入ってきて・・・」

    という庶民感覚も痛いほどわかります.が,それは「いわゆる女子供の望むおとぎ話だ」という現実にも気づかなければならないし,さらに言えば,現実に対抗する実力を,それぞれの立場で,プロとして日々磨いていかなければならないのです.

    そうでない限り,国家の独立など手に入らない.

    ニートと呼ばれている人達に,もし可能であれば一つ問いかけたい.ニートとして,経済的に親などに依存していること自体,私は非難するつもりはありません.ただ一つ,本質的な問いを投げかけたいのです.

    「あなた方は,精神的な独立を果たせていますか?」
    「もしそうでないとしたら,それは辛いことではありませんか?」

    他人を巻き添えにして自死した例の彼も,精神的な独立を獲得してさえいたら,他人を巻き添えにする必要が「なかった」ことに気づいたでしょう.さらに言うと,そもそも自死をする必要がないことにも気づいたに違いありません.

    自分の生きる価値が分からなくなったニートは,自衛隊に行けばいいのです.これは決して懲罰的な意味で言っているわけじゃない.

    もしどうしても,自衛隊が苦手なら,田舎で農業に従事すればよい.人と戦うのが苦手なら,自然と戦うのですよ.

    スポーツ中継の勝敗に思わず熱狂してしまうように,人は(こと人の父性は)そもそも戦う本能を宿しています.

    残念・・・と思うかもしれませんし,思わず武者震いするかもしれませんが,とにかく「その心(=父性=闘争心)」に気づき,受け入れることです.

    平和はただで手に入らない,というのは,要するにこういうことだと私は考えています.

  4. こな様の問題提起に関しまししゃかて、日頃から勉強させて頂いております。
    アスペルガー症候群という病態があるようです。コミュニケーション障害、つまり円満な対人関係の樹立がが困難である事が主症状であり、脳の構造的な障害が基礎にあるため根本治療は困難、ただしトレーニングによって社会生活に順応は可能とされています。
    「相手の意見を聞かずに一方的に自己主張する人」のうち、相当数がこの病態かもと言われていますが、いわゆる「高齢ニート」の中にも、相当数が含まれているとされています。但し、このような人々が社会に害悪をもたらすことは少なく、むしろ「お仕事」があれば愚直に励むと言われています。
    小生としては、このようなハンディキャッパーですら大事にされてきた(周囲は大変ですが)日本という国家を、心から素敵だなあと思う次第です。