川崎の事件に思う

事件発生は2019年5月28日朝。この日の情報番組「ひるおび!」(TBS系)で、落語家の立川志らくさんは、容疑者が自身の首を刺して、ほどなく死亡したことを受け、「死にたいなら1人で死んでくれよって。(略)なんで子供の弱い、そういうところに飛び込んでくるんだ」と怒りを露わにした。 

まさに正論。「死にたいなら1人で死んでくれよ」というのが、日本中の声だと思います・・・が、世の中には、こんな時に「被害者やご遺族への思いやりも無く、反吐がでそうなくらい偽善者ぶって殺人者を擁護するアホ」が居るんですね。自分の大事な娘が殺されても、同じ事が書けるのか!本当に最低な奴です。↓ 

*川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

報道の通り、5月28日(火)朝方、川崎市で多くの子どもが刺殺、刺傷される事件が発生した。 現時点では被害状況の一部しか判明していないため、事実関係は明らかではないが、犯人らしき人物が亡くなったことも報道されている。

それを受けてネット上では早速、犯人らしき人物への非難が殺到しており、なかには「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの強い表現も多く見受けられる。

まず緊急で記事を配信している理由は、これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。 次の凶行を生まないためでもある。

秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。 要するに何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。

類似の事件をこれ以上発生させないためにも、困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性を痛感している。

そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。

人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない。 社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい。

(令和元年5月28日 藤田孝典 NPOほっとプラス代表理事 聖学院大学人間福祉学部客員准教授) 

「自分が他人や社会から、理不尽な扱いを受けている」、だから、それを「恨みに思う」。 

誰でも子供の頃は、自分基準の価値観や目線で行動し始めます。しかし、それが世の中で通用しないと分かった時、ではどうするかを考え、色んな教えを受けて、その都度、自分を改めれば、段々普通の大人が出来上がっていく。これが学習というものだと思います。

でも、朝鮮半島人のように、常に被害者意識全開で、自分を省みようとともしない傍迷惑な人が、多少なりとも存在する事は事実です。

今回の理不尽な事件の加害者は、いわゆる「引き篭もり」。

何らかの挫折や、目の前のプレッシャーから背を向けたまま「引き篭もり」を続ける人々の100%は、自責と屈辱を感じつつ、家族親族に衣食住全てを依存して生きています。

欧米で「引き篭もり」がほとんど居ないのは、どの国も小学校から学力が無ければ落第するのが当たり前で、勉強が嫌いなら他に選択肢があり、一方、教育の無償化が進み、15歳から18歳で抵抗なく実家を出て、アルバイトしながら学生生活を楽しめる環境が整っているからだと思います。(米国などは、日本のように奨学金の支払いで、後々苦しむ若者が居る事も事実ですが) 

日本の公教育は、学力の補償など関係なく、勉強が出来なくてもトコロテンのように進級させ、例え、中学で分数が出来なくても、出席日数さえ足りていれば、3年後に卒業証書が貰えるシステムです。

子供の「引き篭もり」の原因の大多数はイジメではなく、「授業についていけなくなったから」というデーターがあります。それなら、日本全国の公立小中学校で、学力の補償を最優先にして、落第制度を復活させれば良いだけ。

全国どこの学校でもある制度なら、疎外感・劣等感から、いちいち引き篭もらなくても、次年度から頑張れば良いし、優秀な子供なら、飛び級制度も当たり前にすれば良い。

 しかし、40~50代の「引き籠り」の対策は、簡単ではありません。

今回の事件は、恨みという「負のエネルギー」を長年蓄積し、「劣等感の遠因」として縁も所縁もない弱者に殺意をぶちまけた事件。これを正しいという者は絶対にいないはずです。 

この「人間福祉学部の藤田」と言う愚か者は、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している などと言う。

 では、日本の40歳以上の引きこもり約55万人は、ほぼ全員が加害者になり得るという事なのですか?

 「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」が、凶行の原因だと言うなら、自分が幸せになろうと、人並みに程度には努力したのか?他人の幸せのために、努力したことがあるのかを問いたい?

「人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない」 これは一面、反論しにくい言葉ですが、言い切ることは大きな間違いです。戦災孤児だった人々が、全てそうだと断言できますか?

大会社の会長さん達に人生訓を語って頂く番組の中で、「実は私は戦災孤児でね。でも周り中みんなそうだったから、皆、毎日生きるために必死でしたよ」。只々、がむしゃらに働いている内に、「会社は、人の役に立たなくては意味が無いと判ってから、いつの間にか会社が大きくなりましてね」と笑っておられました。

今回、結論めいたことは書けませんが、この2日間、3回くらい文章を書き直しました。感情の波に呑まれて書いた文章は、やはり最低ですね。でも、自戒の念を持って保存しておきます。この事件を通し、私はとても良い勉強をしたと思っています。

 

川崎の事件に思う” への3件のコメント

  1. ご無沙汰しております。こなです。

    この問題、先ずはお亡くなりになられた方々にご冥福をお祈りいたします。

    実は、私の身内にも引きこもりの人がいます。その意味では、必ずしも客観的な立場は取れていないのかも知れませんが、少し意見を言わせて下さい。

    先ず、「死ぬのなら一人で死ね」ですが、これだけなら確かにその通りのように思えるのですが、私は、これってそもそもスタンドポイントがズレているように思うのです。それを言うなら、

    「そもそも、自分を含めて勝手に殺すな!」

    じゃあないでしょうか。

    私の見立てでは、引きこもりの人の99パーセントは、他殺より自殺傾向が強いと思います。言い換えると、他虐より自虐傾向が強いのです。

    志らくさんの意見を聞いて、心中密かに社会に不満を抱えた引きこもりの人は、むしろ、

    「俺みたいなクズは、とっとと自殺しろ!」

    というメッセージを読み取るんじゃないかと思うのです。だとすると、不幸なことです。

  2. 続きです。

    あと、欧米には引きこもりがいない、とのご意見ですが、その代わり、アウトローがザクザクいる点は注意が必要です。

    彼らこそ、他虐傾向の強い犯罪者予備軍でしょう。

    日本に引きこもりが多いのは、何らかの理由で社会から落伍したとしても、アウトローだけにはならないようにと、本人、あるいは家族などの近親者が、何とか耐えているためではないでしょうか。

    そこのところに、日本社会の懐の深さを感じます。

    もちろん、どういう理由であれ引きこもりなんて無い方がいいに決まっていますし、どんな理由があるにせよ、(自分を含めて)人を殺めていいはずなとありません。

    ただ、社会的に弱い人にも、一抹の逃げ道というか「最低限の生きるスペース」くらいは与えてあげていいと思います。

    その意味で、アウトローより引きこもりを生み出す日本に、私は一定の理解を示します。そして、身内の彼、さらに彼を支える親族には、「絶望しても(自分を含めて)殺めるな」と伝えたいのです。

    出口のないトンネルを永遠に歩き続けるように、それでも引きこもりの人を支え続ける人には、尊敬しか感じません。介護問題と同様に、支え続けることに疲れ切って、最後の最後にギブアップしてしまった人もいるかも知れません。が、私はその人を責める気にはなりません、というか、責める資格はないと思っています。私自身、そんなに立派な人間じゃありませんので。

    話を戻しますと、そもそも他虐傾向のある人、或いはその手の思想と、引きこもり傾向には直接の因果関係がない、というか、私の感覚ではむしろネガティブな傾向があるように感じます。

    これからも、アウトローの少ない日本であって欲しいですね。

  3. こなさん 角田さん お疲れ様です。

    私個人の考えとして(うつになった経験も含む)
    引きこもりの方々は多くの、日本国憲法に違反しております。特に25条から27条違反。
    ※未成年の引きこもりの方は別途意見もあるがまとめます。

    ということは、日本国に対して責任を負っていないのと同じ。特に、今回の件で自殺した加害者は、何の責任を負ったのだろうか?
    引きこもりの方々を社会が理解するために必要な策はあるのかもしれないが、引きこもりの方々が社会を理解するための手段を、学者はだれも提言していない。
    だったら、今回元事務次官が息子を刺殺した事件があったが、引きこもりをもつ親御さんをフォローする提言を学者や政治家は行ってほしい。
    ※橋下徹さんと同じ意見になってしますが。
    一番苦しいのは引きこもりの方ではなく、親御さんだ。

    マイノリティーや(社会的)弱者にスポットをあてるのは問題ないが、この藤田さんは、偏りすぎていることは明白です。

    生きていて社会的責任がとれないと思われる引きこもりの方々が、問題を起こした時の責任は、我々社会がとるような発言が多いように思えるのは私だけではないはずです。

    引きこもりの方々を理解することと、甘やかすことは大きく違います。
    引きこもりの方々は、すべて同じということはないのは理解できますが、引きこもりの方々は、この2つの事件から、引きこもりの方々の多くは、このような方なんだ、と世間から認識されても仕方ない、と思いながら、生活してください。
    できれば、今引きこもっている方々の多くは、この犯人たちとは違うぞ、と世間にアピールしてください。

    そうでないと、白い目でみられても仕方ないところはありますが。

    ※過激で申し訳ないですね。

    あっ 関係ないかもですが、6月29日 10時行きますよ!
    この方が、そうした社会を改善してくれることを希望しながら・・・。