原爆の投下の日

今日は広島に原爆が投下された日です。私はもう何年も、8月6日に慰霊碑参拝をしていません。行けば、基地外左翼のアジ演説に耐え切れないと思うからです。

8月6日は広島の鎮魂の日です。静かに祈りを捧げたいと思うのは、私一人ではないと。しかし、反日というガンが全身に巣食っている気の毒なジジイとババア達をマジかに見ると、力の衝動を抑えきれなくなる弱い私です。

昨日の新聞に、広島出身の被爆三世で都内在住の橋本琴絵さん(33)の手記が載っていました。「核抑止力拡大 日本の責務」というものです。彼女は、今年の夏に「被爆三世だから言う 日本は核武装せよ!」と月刊誌(ワック社)に寄稿しています。

橋本氏

祖母が被爆。生前、「日本が原爆を投下されたのは、新型爆弾を持っていなかったから」と話していたのを覚えているそうです。「平和教育では『戦争は怖い』と植え付けられたが、どうすれば戦争を回避できるか、先生は教えてくれなかった」とも。

その幼少時の刷り込み教育が、核抑止の議論さえ封じる圧力になったと言い、「核の悲惨さを知る唯一の被爆国として、同盟に基づく核共有の権利を保有している」と指摘。

核を持たないウクライナの悲劇を目の当たりにして、「非核を唱えるだけで国を守れるはずがない。妄信は捨て去るべきだ」と結んでいます。立派です。是非、岡山の小野田さんや、広島の石橋林太郎さん、今は山口の杉田水脈さん達と共に、国を守る活動をして頂きたい。

先日、あの曲者のガルージン駐日ロシア大使が、「日本人は、原爆を落としたアメリカに怒りは無いのか」とけしかけていました。

欧米は、やったらやり返すという文化ですから、それに従うなら、日本は、アメリカに原爆を投下する権利があります。しかし、そうなれば、終戦間際に不可侵条約を破って、いきなり攻め込んできたソ連に対しても、日本はやり返す権利があります。

今日の平和宣言では、「核なき世界」の実現を訴えるのでしょうが、今のウクライナ情勢を見ても、現実に核兵器の使用を踏みとどまらせているのは、核抑止力に他ならない。

原爆の悲惨さを訴え、二度と犠牲者を出さない決意を壇上で誓うなら、周辺国と同等以上の核抑止力を保持するという「現実的な選択肢」が必要になるのです。