もうメキシコですかね?

>ある意味で、日本以上に平和ボケの空気が充満しているのが、ここアメリカなのかもしれません。

成る程ね。 こなさんの哀愁と憐憫のこもった文章、何となく理解できます ^^

今朝の産経の小さなコラムでは、「真夏のにおい」と題して、真夏のマンハッタンはとにかく、「匂う」ではなく「臭う」とありました。

>原因は大量のゴミだ。収集日になると、自宅アパート近くの通りにはゴミ袋が、記者の身長程の高さまで積み上げられる。

東京23区の1/10にも満たない広さに、160万人が住んでいるマンハッタン。毎日排出されるゴミ処理が追いつかず、サウスカロライナ、バージニアなどにゴミを「輸出」して処分している現状がある。

根底には、ニューヨーカーのゴミを減らすという意識の低さや、マナーの悪さがある。綺麗になったと言われている地下鉄も、ゴミのポイ捨てが収まらない >

このチグハグさ、適度なバラバラ感が、世界一豊かな他民族国家と言われる所以なのかもしれません。

私が生きている間に、「ニューヨーク5番街で、町内一斉清掃がありました。3世代同居の隣のビルのボブさんは、大家族で仲良く歩道の掃除をしています」なんて記事が出る日は来ないでしょうからね。

 

もうメキシコですかね?” への2件のコメント

  1. もうメキシコです。というか、明日帰っちゃうのですが。

    21世紀に入った今のアメリカが平和ボケなら、19世紀辺りで既に平和ボケになったのが、メキシコですね。

    ロス空港から飛び立って、砂漠のような大地を眼下に見ながら一時間も経つと、次第に緑のある湿潤な大地に様変わりしています。そうなんです、嘗てはメキシコの方が、アメリカよりもずっと豊かな国だったのですよね。

    日本に負けじと、世界で何割かの銀を産出していた国だったのです。その栄華を今に伝えるコロニアル様式の街並みがメキシコの各所に残されています。

    それが今では、陽気でいいヤツばっかだけど、何をやらせてもイマイチのメキシコになってしまいました。

    因みに、ロスアンジェルスやサンフランシスコやラスベガスなど、いずれもスペイン語の地名です。つまりは、元はメキシコ合州国の(メキシコも堂々合州国なんですよ)領土だったというわけ。

    米墨戦争というヤツです。が、詳しい事は知らないんですが、こうやって、いかにも不毛の大地のロスから、湿潤なメキシコに向かっていると、嘗ての豊かな側のメキシコは、あまり真剣にロス以北の領土を守ろうとはしなかったのかも知れません。

    だとすると、ね、これもまた平和ボケでしょう。

  2. 日本の周辺地域の尖閣諸島などの小島も、

    「ちっぽけな島だし、欲がる国にあげちゃえば」

    とか、気楽に言ってのける人が、この日本にもチラホラいますが嘗ての豊かな時代のメヒカーノと、どこか通じる所があるのでしょうね。

    豊かになれば、気が緩み、気合いの入った他人に打ち負かされる。その繰り返しが案外国と国との関係史なのかも知れません。

    もちろん、そんな単純な話の筈があるわきゃないと思いながら、書いています。

    メキシコの停滞に対するカトリシズムの影響は、少なくとも、そんなヤワじゃありませんよね。いや、メキシコだけじゃなく、カトリック世界全体に、同質の問題があるわけです。

    けれども、このメキシコのカトリシズム的気怠さは、個人的には、、、、大好きなんですね、これが。

    ということで、こなの感覚なぞ、所詮は蓼食う虫も好き好きのレベルなわけです。

    25年ほど経って、多少は変わったアメリカには不快感を覚えたクセに、全くの変化がないメキシコには、一人勝手に郷愁を感じたいるわけですから、ま、どうしようもありません。

    江戸時代には、金銀財宝の産出競走で日本と良きライバルだったメキシコ。石油文明の伸張と共にのし上がって来たアメリカにそれぞれ翻弄されながら、ここ100余年、互いに随分と違った歴史を紡いで来ました。

    その幾ばくかが平和ボケの影響であるのか、あるいは、それ以外の要因がどれ位あるのか、そんなことに想いを馳せるのは、案外楽しいものですね。

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