「異質な他者」

こなさん、小市民さん、お久しぶりです。 やっぱり年には勝てません ^^;;

サテ、こなさんが書かれた「異質な他者」。 なかなか面白い内容です。

実は昨日、日本会議広島世羅支部の設立5周年記念の講演会へ行ってきました。講師は比較文化学者、文明批評家の「金文学」氏。

良くご存じだと思いますが、1962年に中国瀋陽で韓国人3世として誕生。1991年に来日して同志社大・京大・広大の大学院を経て、日本国籍を取。現在は福山大学人間文化学部などで教鞭をとっている。「日本国民につぐ」は私も読みましたが、あまりインパクトのあるものではなかったと思います。

この講演で面白かった箇所が2つ。

一つ目。 日本人は「和」の文化で「美」を求める。

中国人は「義」の文化で「利」を求める。

韓国人は「情」の文化で「文」を求める。

支那人が「義の文化」??? と私が思っていると、金さん曰く「義の文字は、上が羊で、下が我。羊は財産を表すので、財産は私だけの物という意味です」と。 この件は妙に納得だが、義の文字ってそういう解釈で良いのでしょうか? 韓国の「文」も大いに疑問ですけど・・・

二つ目。 「日本人と外国人(特に中国人)は、空間意識が違う」・・・???

「日本での出来事だが、雨が急に降った時に、支那人の留学生が、全然知らない家の前に立てかけてあった傘を、自分の物のように自然に取って、それを差しながら歩いて行った。家の主人がそれに気づいて、泥棒だと警察沙汰になったが、留学生は落ち着いたもので、泥棒なんかしていないと言い張る。そこで私が警察に通訳として呼び出されて、支那人の特性を話し、何とか丸く納めた・・・」

「支那人は、目の前にある物は自分の物と認識する。日本人はむしろ領土意識が無い・・・」と言われたけど、金さん、あんたの支那人認識は性善説・性悪説でも説明つかないよ。 支那人がやっている事は盗人そのもので、それを人種特性だなんて、そりゃおかしいだろ。

という事で、講演会が終わっての質疑には、加わりませんでした。世羅の人に悪いからね。(会長のご挨拶と、最後の顧問のご挨拶は良かったですよ)

単に支那人の民度が低いだけだと思うのですが、こなさん如何なものでしょうか?

 

 

「異質な他者」” への2件のコメント

  1. お返事有り難うございます.久しぶりに楽しいです.

    >義という字は・・・,自分勝手な所有権・・・云々,
    >支那人は、目の前にある物は自分の物と認識する。

    他人が自分とは違う価値観で生きている.そのことを知っていることは,大事だと思います.が,ここで安易に,異質な価値観を,

    「分かったつもりになる」

    必要はありませんよね.私にも,金文学さんの上記の説明は,ちんぷんかんぷんです.

    また,もう一つ重要なことがあります.「相手の本質なんて,そう簡単に分からないんだ・・・」となると,善良な日本の人々は,振り子が反対に大きく振れて,

    「全ての価値観を,平等に扱おう」

    と,必要以上に「文化相対主義的に」考えてしまう傾向があることです.これも,有り体にいえば間違いなのです.

    特亜諸国の異質な価値観も,それが理解できなくとも,その存在自体は認め無ければならないでしょう.でも,だからといって,そこに同等の「格付け」を与える必要はない.敢えて「善悪」とは書きませんが,実際には,「格の差」はある.

    これを民度の差,というのであれば,民度の差です.

    特亜の価値観を,こな的に揶揄すれば,

    「自分がやればロマンス,他人がやれば不倫」

    っていうヤツです.彼らこそ,「客体がない」のです.自分中心のエゴイズムを押し通しすのはいいが,同じことを他人にやられると,今度は火のように喚き散らして激高する.

    「他人の傘を取るのは,便利だからいいこと.でも,自分の傘を取るヤツは,極悪非道の罪人・・・」

    この,厚顔無恥のダブル・スタンダードが,日本人にはまず持って理解できないのです.

    そのような価値観に,どの様な歴史背景が関係しているのか,また,どの様な理屈が成り立っているのか分かりませんが,そのこそ泥的な価値観には,残念ながら,極めて低い「格付け」しか与えられないでしょう.

    いやなにも,こながそのように騒がなくても,事実,世界がそう見ている.そして,私から見たらそれこそ意味不明なのですが,その「格の低さ」に,特亜の連中は,永遠に激高しているばかりなのです.

    「従軍慰安婦が嫌なら,まず,その娼婦文化を根絶しろよ!」
    「南京大虐殺が嫌なら,まず,その政治弾圧体質を改善しろよ!」

    理解するもなにも,そのレベルに,どうしてこちらが合わせなくっちゃならないんだよ.というか,合わせるというのなら,また,日本の力に見合っただけ,あんならを支配して,襲って,虐げなくちゃならないのか? ホンマあほらし.

    金文学という,書籍も出していて,講演までする人においても,この程度のレトリック・・・,残念ながら,残念な現実です.

    親日派の金文学さんとて,故郷に対する愛着はあるのでしょう.「義」においては負けたくない,という虚勢の一つも張りたいのでしょう.しかし,少なくとも近代史において,そのことばに見合った行動を取った支那の偉人など,人っ子一人,知られておりません.また,その「義」なるものをテーマとして,世界を納得させらレ流ような文学作品や映画の一つも作られていません.

  2. 本当はあるはずの実力が,発揮できない・・・.私はこの現象を,「漢方薬のジレンマ」と呼んでいます.

    古代哲学においても,漢方薬においても,彼らには伝統はあるのです.素質は,全くないわけじゃない.が,残念ながら,それを表現する力を,少なくとも現代中国人は,持っていないのです.

    彼らは,二言目にはこういいます.

    「この漢方薬は,西洋医学にはない効能がある」

    だったら,とっととその効能を客観的に証明して,世界にせっせと売りさばけばいいじゃないですか.彼らがのどからでが出るほど欲しがっている,

    「独占的な世界市場」も,
    「ブランドイメージ」も,

    面白いように手に入るはずです.それこそ,レアメタルや高速鉄道の国際競争入札どころの騒ぎじゃないですよ.

    しかし,中国人はそれをしない,というか,それが出来ない.効能を,客観的に証明しようとしない,ついでに副作用も,客観的にチェック出来ないからです.

    正直言って,ここがこなにはとんと分からない.ほんと,馬鹿じゃないかと思う.少なくとも漢方薬に関しては,全てのお膳立てが,中国にそろっている.日本も含めて,競合はいない.ただ,普通に,臨床試験して,国際規格を通せば,いっくらでもビッグビジネスになるのです.

    731舞台が云々なんて騒いでいる暇があったら,とっとと大規模臨床実験でもすりゃあいいのに.

    金文学さんには悪いけれども,支那はいまでも「阿Q正伝」なのでしょう.

    魯迅の文学一つでさえ,いまだまともに正視できない中国です.それを義だとかなんだとか,いい加減しゃらくさい!